地球時代、今を生きる学問
土井 隆義(筑波大学大学院人文社会科学研究科教授)
(2013年3月掲載)
初音ミクがヒットした理由
仮想アイドル歌手の初音ミクは、コンピュータ・ソフトウェア会社のクリプトン・フューチャー・メディアが手がけたボーカロイド(音声合成ソフト)です。皆さんには釈迦に説法かもしれませんが、ヤマハが開発した音声合成システムに、美少女のキャラクターを付けて発売したところ、この種のソフトとしては空前の大ヒットとなりました。いまや「彼女」のファンは、コンピュータ・ソフトに関心をもつ層を超えて、一般の若者にまで広がっているようです。
じつは、これまでも同種の音声ソフトはいろいろと発売されていました。初音ミクは、それらと比べて使い勝手は良くなっているものの、その性能が突出して優れているわけではありません。また、そのキャラクターにしても、同様の美少女キャラクターは他にも数多く見受けられます。初音ミクだけが、それらと比べて異彩を放っているわけでもありません。だとすれば、このソフトが大ヒットしたのは、それら二つの要素が組み合わされたことで、単独では喚起されえなかった新しいタイプの魅力が、そこに生み出されたからだといえるでしょう。
その魅力のありかを示唆しているのが、初音ミクのキャラクターをモチーフにしたイラストやアニメが作成され、また「ニコニコ動画」などでそのキャラクターに歌わせるという新しいタイプの二次創作が、「彼女」のファンによって相次いでいるという事実です。この現象は、初音ミクが単なる音声合成ソフトとしてではなく、あたかも実在する生身のアイドル歌手であるかのように扱われ、それが人気の秘密となっていることを物語っています。
通常、ソフトの購入者が音声合成システムを利用して作詞作曲を行なうとき、その主役は自分です。自己の才能を顕示し、その作品を披露する手段として、そのソフトは用いられます。しかし、初音ミクの場合、そのシステムを利用して作詞作曲を行なうことは、アイドル歌手である「彼女」に歌を提供する行為へとすり替わります。そこでの主役は初音ミクであり、ソフトの利用は「彼女」を支援し、盛り上げるための手段にすぎません。この転倒の構図こそが、「彼女」の人気を支えている最大の要因といえるのではないでしょうか。
他者を支援することで示す自己の存在
そのように眺めると、AKBをめぐるアイドルとファンの構図と同様の現象が、ここにも見られることに気づきます。AKBの人気は、アイドルが特権的な立場にあるとは感じなくなった人間関係のフラット化を象徴したものでした。したがって、その世界観を裏返してみれば、自らの作品によって権威の座に君臨することなどには思いも及ばなくなった経緯がよく理解できます。手の届かないアイドルを仰ぎみて、その華々しい姿に憧れを抱くのではなく、身近にいるごく平凡なクラスメイトが、アイドルとなって輝き始める様を眺めていたい。それと同じような支援の感覚が、じつは初音ミクの大ヒットの背後にも見受けられるのです。
他人を凌駕することによってではなく、むしろ他者を支援することによって、自らの存在証明を図りたい。周囲の人たちに自分を誇示したいのではなく、周囲の人たちから自分が必要とされたい。今日の若者たちの多くは、そう願っているに違いありません。最近の若者たちには大いなる野心が見受けられないと、年長の世代からしばしば批判されてきましたが、このような感性は、考えてみればまったく健全なものでしょう。
専門家システムの揺らぎ
他方で、AKBの素人っぽさこそが世のファンたちに受け、またそのメンバーたち自身もプロの評価ではなくファンの評価に頼るように、このような感性は特権的な知識や技能に対する信頼を脅かすものだともいえます。その事情は、たとえば東日本大震災後にクローズアップした原発の存廃問題にも象徴されているでしょう。かつてなら、とりあえず専門家の判断に従っておけば安心と思うこともできましたが、現在の私たちは原子力の専門家の知見だけに頼っているわけにはいかないと感じはじめ、それを判断材料のごく一部としてしか捉えなくなっています。
それに加えて、原発の存廃の方針をめぐって互いの妥協点を探ることも、かつて以上に難しくなっています。態度を決める際に依って立つ地平が、そもそも個人によって大きく異なっているからです。ともかく成長や進歩を善きものと素朴に信じることができ、それを中心に価値の序列性が成立しえた頃とは異なり、今日では人びとの価値観が多種多様になって、それぞれが等価なものとして併存するようになっています。そのため、いまや専門家の判断もその並列化した選択肢の1つにすぎず、素人の判断より優位性を保っているとは看做しがたくなっているのです。
もちろん、私たちの日常生活は、専門家が提供する高度な科学知識と、その応用技術によって支えられています。だから、クルマの作動メカニズムなど詳細に知らなくても、運転技術さえマスターすれば、とりあえず誰でも運転できます。しかし今日では、たとえば排ガス規制はどのレベルに設定すべきか、あるいは高速料金はいくらが妥当か、そういった価値判断を伴う決定について、かつてのように専門家に任せておけばOKとは感じられなくなりつつあるのです。
かつて専門家が有する特権的な知識は、個別の時間や空間に限定された人びとの認識方法を、普遍的なそれへと置き換える役割を果たしていました。しかし今日では、価値観が過剰なまでに多元化した社会のなかで、かつてのように普遍性を追求するのではなく、むしろ個別の時空間にこだわることで、自らの価値判断の安定性を確保しようとする傾向が強まりつつあります。今回のタイトルに掲げた「当事者主義の時代の到来」には、このような意味が込められているのです。
土井 隆義 (どい たかよし)
筑波大学大学院人文社会科学研究科教授
1960年生まれ。現代の青少年が抱える「生きづらさ」の多彩な現実と、その背景にある社会的要因について、青少年犯罪などの病理現象を糸口に、人間関係論の観点から考察を進めている。いじめ問題についてもしばしば言及し、2012年7月に朝日新聞に掲載された『いじめられている君へ』は大きな反響を呼んだ。著書に『友だち地獄』(ちくま新書)や、『「個性」を煽(あお)られる子どもたち』(岩波ブックレット)、『キャラ化する/される子どもたち』(同)など。