地球時代、今を生きる学問

オトナになる~ちきゅう学で考える

第1回

何もしないで生きる

丸山 茂徳(東京工業大学理工学研究科地球惑星科学専攻教授)

(2013年3月掲載)


(1)尾崎豊とアンジェラ・アキ

尾崎豊(※)
尾崎豊(※)

中学生から高校生の皆さんの年齢になると、同じ学年の中で、成績の順番が何となく決まり、『一人一人個別的に、特別な能力があるから、それを信じて、自分の能力を発見して、明るい未来を目指して頑張りなさい』という先生の言葉に、白々しい嘘があると思うようになるだろう。『現実の社会はどの人にも平等な優しい世界ではない』という実感が少しずつ重みをもち始め、苛立ち、自分の中からこみあげてくる若者固有のエネルギーが、大人の社会への、反社会行動への衝動になる。無免許バイク運転、深夜に石を投げて校舎のガラスを壊す、だれか俺を包んでくれる大人はいないのか、愛という実体のない名前に憧れる。尾崎豊の一連の歌詞の中身そのものだ。


子犬がひと時もじっとしていることがないように、青春時代の人間もジッとしていない。しかし、老犬は、ほとんど動かなくなるように、君たちもやがて老人になって静かになる。老人はじっと遠くを見ているだけだ。それは過去に思いを馳せ、哲学者になったわけではない。内からこみあげるエネルギーがなくなっただけだ。

 

青春時代のもう一つの特徴は、感受性の高まりだ。声もそうだ。英語を上手くなりたいなら、この時代に英語の歌詞の意味を考えながら、カラオケの帝王を目指して、英語の歌を覚えなさい。複数の単語が連なって会話が成り立つ場合は、各単語の発音が全部は聞こえて来ないだろう。すると、個々の単語が、まるで別の単語に聞こえてくることに驚くだろう。英会話はまとまった単語の発音なのだ。まとまった単語の塊の発音は、個別の単語の発音とは別なので、それを特別に学ぶ訓練が必要だ。学校ではそれを教えないし、それを覚えるには五感が鋭敏な青春時代が最適なのだ。


アンジェラ・アキ(※)
アンジェラ・アキ(※)

感受性が高まると、自分の中の純粋さと、大人の社会への期待と、『現実の社会の大人の無神経さ』に傷ついて青春時代特有の憂鬱さが君らを悩ませる。何気ない、大人の無神経さに、限りない怒りと哀しみと、ぶつけようのない苛立ちが沸騰して、暴力的にはじけても、心理的にははけることなく自分の中に奥深く沈殿する。それがアンジェラ・アキや三浦綾子の世界だろう。

       

 

(2)何もしないで生きることを目指す


自分には特別すぐれた資質がない、生きていて楽しいことがない、したいことが何もない、何もしないで生きる、そうだ、何もしないで生きられれば、そんな素晴らしいことはない。村上春樹の世界だ。これだ。うじうじ行こう。これこそ究極の世界ではないのか。これまで、人類が地球に誕生して以来700万年の間に、いったいどれだけの人間がこの地球に生まれ、死んでいったのだろうか。それでも誰一人、何もしないで生きるというすばらしい方法を書きしるした人はいない。不思議だ。

 

しかし、それでも、ほとんどの人間は何もしないで生き、死んでいったのだから、これは余りにも当たり前のことで、むしろ、『人間には一人一人生きる権利と、どの人間にもすばらしい素質が平等に与えられている』という先公の叱咤激励が実は嘘なのではあるまいか、と思う。神様は人間に不平等に能力を分配したのではないのか。ほとんどの人間は歴史とは無関係に、働きアリのように生き、地面に張り付いて、人に媚びながら、這いつくばって、だれも歴史に残らず、知られず、そして歴史から消えてゆく。これは最も普遍的で、当たり前の世界ではないのか?

 

何もしないで生きる。素晴らしい。しかし、それは本当に可能だろうか?

 

 

(3)一人では生きられない


毎日、学校に通う。今、勉強を放棄して、何もしないで一日を過ごし、好きなこと、『歌を歌い、カラオケ三昧、歌手のコンサートの追いかけ、友達とのお喋り、悪がきとつるんで、受験勉強邁進派をいじめよう、時には暴力も』。本能のまま、知性のない動物のように生きる。楽しいじゃないか!


好きで学校にきた訳ではないが、親や先公から文句を言われないなら、学校生活も悪くはないぜ。しかし、こういう生活は、一生は続かない。高校留年という例はあまり聞かないからな。高校をでたら、大学に潜り込めれば、その後4-8年はいけるぜ!でもそれで終わりだ。人生まだ長い。


しかし、中学、高校、大学の学費・生活費は親から出してもらっている。こんなおいしい生活もいずれはなくなる。ひょっとして、親が明日死んだら俺の生活はどうなるのだろう。コンビニ、役所、飲み屋、会社、スポーツ選手、歌手、公務員、消防員、先公、何らかの派遣パート、職業なんて無数にあるじゃないか?なるようになるさ。


でも、親の会社が突然、潰れたり、不慮の事故で親が失職して親を養わなければならなくなったらどうしよう。その時は、親を捨てて逃亡するか?しかし、ここまで養ってもらった恩義を忘れる訳にはいかないか?これまで、いつもがみがみ、勉強しろとしかいわない親だ。出来の悪い俺を憎んでいるのではないのか。だとすれば、早く死ね。ザマーみろだ。死んで当然、俺にがみがみ言った罰が当たっても仕方がないのだ。


とは言ってみても、今、俺の前から家族が消えたら、俺は生きてゆけない。朝ごはん、晩ごはん、洗濯、小遣い、眠る場所、自転車、衣服、パソコン、携帯電話とその使用料支払いなどなど。なんだかんだと俺の日常の些細なことまで、ガールフレンドのことまで口をだし、うっとうしいのは限りないが、そんな心配をしてくれる人、家族がなくなったらどうしよう。唯一のきょうだいの弟は、もっと困るだろう。誰が弟の学費をだすのだろう。


家族と友達を比べたら、俺が困ったとき、最後は友達よりも、結局、俺には家族しか味方はいないんだろうな。

 

※尾崎豊(1965年~1992年)
1983年、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でデビュー。4枚目のシングル「卒業」が大ヒットする。真実の愛や夢、生きることの意味を追い求め、学校や社会の不条理に立ち向かい、傷つけ、傷つけられることとその罪におびえる少年の心の叫びのようなその歌の世界が1980年代から1990年代初頭にかけての若者の共感を呼んだ。端正な顔立ちと曲の激しさのギャップも相まって、カリスマ的存在となる。
1992年(平成4年)4月、27歳という若さで死亡。その死因には謎も多く、ファンに大きな衝撃を与えた。今なお多くのミュージシャンに影響を与え続けている。[Wikipediaより]

 

※アンジェラ・アキ(1977年~)
父親は日本人、母親はイタリア系アメリカ人。徳島県出身。3歳からピアノを始める。15歳でハワイに渡る。大学在学中に本格的な音楽活動を始め、26歳で日本に帰国。
2006年に日本武道館史上初となる、単独アーティストによるピアノ弾き語りライブを開催、2008年には「手紙~拝啓 十五の君へ~」がNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲になった。ピアノを打楽器のように全身を使って弾くダイナミックな演奏と、日本語にこだわった歌詞の美しさが特徴。[Wikipediaより]

プロフィール

丸山 茂徳(まるやま しげのり)

東京工業大学理工学研究科地球惑星科学専攻教授


1949年生れ。専門分野は 野外地質学、変成岩岩石学、惑星テクトニクス、地球史。従来のプレートテクトニクス理論に対して、マントル全体の動きを仮設する「プルームテクトニクス」を提唱し、地質学界に衝撃を与えた(1994年)。最近は、惑星の地殻変動と生物進化の歴史を関連付けたり、人間の文明や戦争の歴史を、地学の立場から見直したりなど、学際的な研究も行っている。『ココロにのこる科学のおはなし』 (数研出版)、『46億年 地球は何をしてきたか?』(岩波書店)など、中高生向けの著書も多い。

 

 

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