「飛脚ビジネス」を仕掛ける、ふんどし姿の高校生
(2015年5月掲載)
「現代の飛脚」としてふんどしを絞め、日本を駆け回る高校生がいます。私立茨城高等学校に通う塙佳憲(はなわよしのり)くんです。
彼は中学生の頃からふんどしを愛用しています。自己紹介の中でネタとして使っていたところ、初対面の方から「飛脚」のアイデアを授かりました。高校1年の夏には、現代の飛脚として東京を駆け巡り、渋谷を始めとする街をざわつかせました。しかし、彼が行っているのは人から人へ頼まれたものを届ける「運送業」だけではありません。現代の飛脚の業務は、昔のそれとはだいぶ異なっているのです。
現代の飛脚は、江戸時代には存在していなかったパソコンを使いこなす。名刺やロゴを作成する「グラフィックデザイナー」という仕事も請け負う。TEDxKids@Chiyodaで登壇を果たすなど「プレゼンター」としても活躍。はたまた高校で特別授業を受け持つなど、講師としての顔も持ち合わせている。このように、現代の飛脚の活動はユニークなほど多岐に渡っているのです。
現代の飛脚・塙くんの足跡と、それを可能にした「ある力」を振り返っていきます。
「ふんどしと言ったら飛脚だろ。」
はじめまして、現代の飛脚です。2013年の夏から、ふんどし姿で渋谷のなどを走り回っています。警備員に捕まるというアクシデントがありながらも、現在も元気に飛脚を続けています。
ぼくは中学生の頃からぼくはふんどしを絞めています。ある日インターネット通販で「安いパンツないかなー」と思って検索していたら、その時にたまたま出逢ってしまったんです。ふんどしに。
それは「しゃれふん」といって、すごくお洒落なふんどしでした。購入を考えたのですが、中学生のぼくには値段が高くて手が届きませんでした。でも、どうしてもふんどしを絞めてみたくて、自分で作ることにしたんです。手芸屋さんに行ってさらしという布を買って、ミシンを使ってお手製のふんどしを作りました。
そういった経緯があり、ふんどしを安くみんなに提供したいと考え始めました。それをある大人に相談したら、アイデア会議みたいなのが始まって、「ふんどしを売るより飛脚の方が面白いんじゃない。現代の飛脚とかどう?」と言われ、それに対し勢いで「やります!」って言ってしまったことがきっかけで、現代の飛脚をスタートしました。
日本ふんどし協会さんに、企画の許可やアドバイスをもらいに行ったことがあります。その方は関西の方で、話がすごく盛り上がりました。さらに、「協力するよ!ふんどし使いなよ!」って言ってくれました。嬉しいことに、飛脚にかかせないふんどしは日本ふんどし協会さんに提供してもらっているんです。
タクシーも使う現代の飛脚
そして、2013年の夏に、現代の飛脚はスタートしました。最初は自分の知り合いのところに行って「なにか荷物ないですか?」と話しかけました。お試し価格で千円くらい代金をもらって、最初は飛脚らしく巻物を届けました。今度は、荷物を届けた先でまた荷物をもらい、次の場所に運んでいきました。届け先から依頼を受けて、どんどん数珠つなぎみたいにつながって、全部で10件くらいの依頼を受けました。
届けた荷物には、新聞、アイス、花かご、フルーツバスケットなどがありましたね。アイスは溶けるし、フルーツバスケットは重いしで結構大変でした。一番苦労したのは、六本木から渋谷まで走った時のことで、走っている時に荷物がぴょんぴょんはねてしまい、運ぶのが大変でした。すり足で荷物を運んだりして工夫をしました。
ふんどし姿でいるのは、最初は恥ずかしかったんですが、段々とその気持ちも薄れてきました。感覚が麻痺しているだけかもしれないですけどね。電車やタクシーを使った時は、面白がられてTwitterにその姿が投稿されたりもしました。
最近は走っていると「〇〇でみました。がんばってください!」と声をかけてくれる人が増えてきました。外国人の方からの受けはやっぱりよくて「ワオッ!」みたいになりますね。
グラフィックデザインも手がける現代の飛脚
デザインは中学2年生くらいの時に始めました。きっかけは親に連れられていった地元の講演会です。講演後に、大人達が名刺交換をしているのを見て、「自分も名刺交換してみたいな」と憧れを持ちました。それで、自分の名刺を作ろうと思って、家にあるプリンターを使って、名刺を自作してみました。そしたら、いつのまにか、デザインが仕事になっていたんですね。今は名刺だけじゃなく、ショップカードや、ロゴのデザイン、PRの仕事も手がけています。
「これ自分で作ったの?」と、たまたま出逢った人に自分の名刺を見せた時にそう聞かれました。ぼくが頷くと「すごいね、ぼくのも作ってくれない?」ってトントン拍子で話が進んでいき、その方の名刺をデザインすることになりました。その方がぼくのことを他の方に紹介してくれて、そこから名刺作りが広がっていきました。
その方はとある学校の先生で、名刺の依頼の次には、なんと学校での出張授業の依頼を頼まれました。
高校生を教える現役高校生
その高校では総合の授業の一環で、生徒は約20のコースから好きなコースを選ぶというのがあり、その一つの講師としてぼくも呼ばれました。他の講師には、昔ディズニーで働いていた人、時計職人の人などがいて、ぼくは「名刺をデザインしよう!」という講座で25人くらいの高校生を受け持ち、全部で10回ほど授業をしました。
授業では、名刺のデザインの仕方を高校生に教えました。「デザインってこういうものだよ」っていうのを、名刺を並べて参考にしてもらいながら。それで、最初は手書きで名刺を作ってもらうことにして、それを修正していって、完成。最後にそれをぼくがイラストレーターを使って仕上げました。
教えている相手は、ぼくと同じ高校生なんですよね。高校生同士なのに、教えるっていうのは新鮮でした。向こうからは「おもしろいやつ」って思ってくれたみたいで、LINEを交換したりして、仲良くなれました。
トイレ清掃の輪を広げる
今は高校3年生です。学校内では、生徒会活動に特に力を入れています。中学の生徒会長になった時に、生徒会で新聞を作ろうとしたことがあります。ネタの記事に変な絵を書いたら、それを先生に怒られました。
でも、良いこともしっかりやりました。中学2年の終わりの頃です。学校のトイレがなんか汚かったので、自主的に掃除を始めたんです。最初はぼくだけだったのですが、生徒会を巻き込み、次にPTAや知り合いの大人達も巻き込んでいきました。Facebookで繋がっている大人の方に、「今度こんなことやるので来てください!」って連絡をしたら、上手い具合に活動の輪が広がっていくのも気持ちよかったですね。
現代の飛脚の学校生活
ふんどしを履いていたり、飛脚をやっていたりするおかげで、高校ではへんてこなキャラになっていますね。それが原因で怒られたこともあります。学校でクラスマッチが開催された時に、「優勝したら脱げよ!」って友達に言われて「おう!まかせとけ!」ってノリで言っちゃったんです。いざ優勝して脱いだのはいいけど、先生からお呼びがかかりました。職員室で1時間くらい正座をさせられました。今は良い思い出ですね(笑)。
とりあえずの力
今はこんな格好をしていますが、昔は実は内むきでした。さらにぼくは、面倒臭がり屋のくせに、完璧を求めるというやっかいな子供でした。小学校6年間に配られた漢字ドリル、計算ドリルは一冊しか終わらせたことがありませんでした。全部やってから出そうと完璧を求めるけど、めんどぐさがり屋だから、始めることが出来なかった。
それを変えてくれたのが”とりあえずの力”です。先ほど話したトイレ掃除の話にすこし戻ります。このトイレ掃除は「汚いなー」から始まり「とりあえず掃除するか」と行動を起こしてみたんです。そしたら、いつのまにか、友達や大人を巻き込んでいました。
そこで重要なのが、“とりあえずの力”です。とりあえずにはいろいろな力があって、とりあえず行動してみたり、とりあえず人に言ってみたり、とりあえず始めてみたりすると、いろいろな面白いことがあります。ぼくはたくさん考えてしまう人間なので、考えているうちにいろいろとネガティブなことを考えてしまいます。だから、この”とりあえずの力”で、とりあえずやってみるのが、ぼくにはとても大事でした。
現代の飛脚をはじめるのも、「やります」と、とりあえず言ったのが始まりです。よくよく考えていたら、こんな格好はずかしい格好なんてできなかったけど、言ってしまったのでやるしかない。言ってしまったから、行動を起こせたんですね。このように“とりあえずの力”は、まだ見ぬ世界の入り口になってくれます。思わぬ所で新聞にものったり、こうやってインタビューを受けたりします。“とりあえず”は世界を変える力を持っていると思います。
▼塙くんについて
・web: 個人:http://gendai-hikyaku.strikingly.com/
・web: 会社:http://hikyakudo.com/
・TEDxKids@Chiydoa: http://tedxkidschiyoda.com/speakers/1579
<まことの編集後記>
圧倒的な存在感を示す「現代の飛脚」
“とりあえずの力”に新しい世界の扉を開く可能性を感じた
現代の飛脚として、ふんどし姿で都心を騒がせる高校生。実際に会うまでは、そのイメージからおちゃらけて派手な性格な人物だと勝手に予想していた。しかし、実際の落ち着いた話ぶりを目の当たりすると、彼は淡々と世界を眺めているように思えた。人間としてすごみすら感じた。
彼には「・・・なんで、ふんどし締めているの?」ということから始まり、聞きたいことが山ほどあった。取材を進めていく中で、ぼくは、彼のような人のことを“クリエイティブ”と呼ぶのだなと感じた。その理由は3つある。
1つ目。彼は「現代の飛脚」を前面に打ち出すことで、彼の持つ能力(デザイン、広告、運送業など)よりも、彼自身の存在を世間に強力にアピールしている。「名刺のデザインを頼みたい」、いや、それ以上に、彼に会ってみたい。話を聞きたい。仕事をともにしてみたい。そんなふうに、彼は個人として評価され、自分の名前で勝負している。
2つ目。それは、彼のお勧めする「とりあえずの力」である。自分を例にあげるのも恐縮だが、ぼくは好奇心は強いが、実際にそれにとりかかること、成果をあげることがまだうまくない。そしてその大きな要因は、物事に取り掛かるための「動機付けの不慣れ」にあると考えている。例えば、ぼくは一度勉強を始めてしまえば、5時間くらいは机に向かっていられる。しかし、実際にペンを握りノートを開くのに、それ以上の時間がかかることがある。だからこそ、彼のいう「とりあえずの力」には可能性を感じた。完璧にこなそうと考えなくていい。ひとまず始めちゃうこと。誰かに頼っちゃうこと。精神的ハードルをうまく低くすることは、自身の知らない能力を開発し、幸運を招く大きな可能性を秘めている。
3つ目。彼は掛け算がうまい。ふんどし姿で街を歩いていれば、否応なしに、それだけで目立ってしまう。最初は恥ずかしいと感じていたそうだが、今はその周囲への圧倒的なアピール力を生かして、身体に会社の広告を掲載して、PR業も手掛けてしまっているそうだ。既存の溢れた「職業名」でなく、「現代の飛脚」という固有名詞を手にしたことで、彼は自由気ままに生きていた。
上にあげた3つの理由から、彼は“クリエイティブ”な人間だなと感じ入ってしまった。彼のいう“とりあえずの力”を人生に組み込んで、新しい世界の扉を、どんどん開けていきたい。そう空想を広げることができた取材であった。ふんどし、とりあえず締めてみようか。