(2013年11月取材)
2010年の世界体操選手権では、最も美しい演技をした選手に贈られる「エレガンス賞」を日本女子選手として初めて受賞した田中理恵さん。女子体操選手としては、異例の遅咲き23歳で初めて世界選手権に出場、2012年のロンドンオリンピックには三きょうだい揃って出場したことが話題になりました。
聞き手は、オリンピック体操金メダリストで、現在は指導者である、具志堅幸司さんです。
具志堅幸司氏 1984年のロサンゼルスオリンピック男子体操で、個人総合とつり輪で金メダル、跳馬で銀メダル、団体総合と鉄棒で銅メダルを獲得。指導者として、多くの優れた選手を育てている。神奈川県教育委員会委員長。
田中理恵さん 1987年生まれ。父母・兄・弟の一家全員が体操選手という体操一家で6歳から体操を始め、和歌山県立和歌山北高校から日本体育大学に進学。2010年、女子体操選手としてはかなりの遅咲きの23歳で初めて世界選手権に出場。この大会で、最も美しい演技で観客を魅了した選手に贈られる「ロンジン・エレガンス賞」を日本女子選手として初めて受賞。2012年のロンドンオリンピックに出場した。
具志堅さん)
体操をやっていて、人とのつながりの中で印象に残っている経験は何かありますか。
田中さん)
高校3年の時、ケガをしたり成績が伸びなかったりで、体操が好きでなくなったことがありました。私は、高1から高3で身長が10cmくらい伸びて、体重も増えて、中学までやってきたことが何も通用しなくなったんです。成績も全国でも50~60番目くらいで、もっと強くなりたい気持ちはあっても、努力している自分を見せるのもイヤだと思ったり。そういう時、父と兄は励ましてくれたんですが、弟だけは「そろそろまじめに体操やれよ」って言ったんです。あれはちょっとショックでしたね。ライバル心だったのでしょうかね。
日体大では寮に入ったので、先輩に敬語を使わないといけないんですが、私は敬語なんて使ったことがなかったし、高校時代に反抗していた時も、親にもコーチにも叱られたことはなかったんです。それが、先輩にはビシビシ叱られた。でも、自分のことを真剣に叱ってくれたことがわかったので、自分のどこが悪いのかが逆によくわかりました。
具志堅さん)
大学に入って環境が変わったことで、どんな影響があったと思いますか。
田中さん)
今考えてみると、プラスだったと思います。私は、団体で生活したり練習したりすることは初めてだったんです。すごく厳しくて、こんなのが4年間も続くの?!と思ったら我慢できなくて、入学してすぐに監督のところへ「やめたいです」と言いに行ったほどです。だから、入学当時は、「どうして笑わないの?」と言われていました。
それが、大学1年の時に、足首の手術をして、練習ができなくて一人でリハビリをしている時に、自分がどれだけ体操が好きだったか、わかったんです。それから笑えるようになりました。
具志堅さん)
2020年の東京オリンピックの時、どんな自分になっていたいと思いますか。
田中さん)
私はもう選手としては出場できないので、出られる選手は本当にうらやましいですね。今の中高生が7年後を目指して頑張れるのはいいことだと思います。何らかの形でかかわっていきたいと思っています。
具志堅さん)
最後に、田中さんから、若い世代の人たちに、メッセージをお願いします。
田中さん)
あきらめずに、夢を追ってください。どんなに時間がかかっても、自分が作った目標に向かって頑張って達成したら、夢はきっとかないます。高校で体操をやっている皆さんは、いい結果が出たらラッキーだけど、試合に出られたことを楽しんで。雰囲気に飲まれないように頑張ってください。
※神奈川の教育の未来を語り合う「かながわ人づくりコラボ2013」(2013年11月9日、神奈川県立神奈川総合高校にて)での座談会「明日の神奈川のアスリートをつくる」をまとめました。