高校生だからできる、絶対に楽しんでもらえる物語を

演劇部顧問 畑沢聖悟先生

被災地応援公演について ~終演後のミニ講演会から

(2014年7月取材)

終演後、演劇部顧問でこの作品の脚本を書いた畑沢聖悟先生が、青森中央高校が行ってきた被災地応援公演について講演されました。

畑沢聖悟先生
畑沢聖悟先生

2011年3月のあの震災の時、青森市は2日半停電しました。直接被災したというわけではありませんが、私自身、テレビの画面を通じて見えてくる悲劇に比べたら、机の上でひねり出すちまちました悲劇なんか、何の意味もないのではないかと思ってしまっていました。

 

で、まあ何とか立ち直って夏になった頃、高校演劇で何かやりたいと思うようになりました。というのは、被災地でご高齢の方々に観ていただくなら、孫みたいな年頃の高校生が元気に走って、叫んだり歌ったりしていた方が、ちょっと上手い大人の劇団よりも喜んでいただけるだろう、と思ったからです。

 

もともと演劇という分野は慰問には向かないのです。被災された方に対して、「1時間座って観ていてください」なんて失礼なことは、口が裂けても言えない。だったら、有名な俳優さんとかアイドルとかが行って握手する方がいいに決まっています。でも、9月頃になって、「間違っているかもしれないけれど、それでもいいからやろう」と決断をして、演劇部員に「被災地に行きたいと思っているんだけど、どう?」と言ったら、部員たちも皆「被災地のために何かしたい」と思っていたんですね。で、「やりましょう!」ということで、この作品ができました。

 

そこで考えたのは、被災地の方に迷惑をかけないことだと思いました。慰問に行くからということで、きれいな衣装を着てピカピカの楽器を持って、「ホールに無料で行きますから、お客さんを集めてください」と言うのは筋違いだろう、と。大事なのは、絶対に楽しめるものでなくてはいけないということでした。難しい論理とかドラマとかは一切なしで、バカみたいな単純で楽しい話にしようと思いました。それには、僕より上の世代は野球が日本で一番ポピュラーなスポーツだと信じているので、高校野球の話にしようと決めて、あの物語になりました。

 

被災地へ行くことを通して「演じることの覚悟」を実感

最初は自分の県内から始めるべきだと思ったので、八戸市から公演を始めて、2011年の10月に初めて気仙沼市の面瀬中学校でやらせていただきました。最初の年は、被災地の中学校や小学校はまだ避難所になっていて、グラウンドには仮設住宅が立ち並んでいました。

 

この日は昼に気仙沼、夕方は大船渡で公演して翌日は釜石に移動して公演しました。その時、バスで気仙沼の港と陸前高田市を通りました。町が丸ごと無くなってしまったところです。部員たちは、自分達が被災地で公演するということは、ものすごく失礼なことをしているのではないかと思って、怖くてしかたがないのです。そして、途中で町の惨状をバスの車窓から目の当たりにして、ものすごくショックを受けてボロボロ泣きました。でも、今日お芝居を見に来て下さる方々は、かつてここに住んでいたんだ、ということを話し合ううちに、部員たちも僕自身もだんだん覚悟を固めていったのです。演劇をやっていても「演じる覚悟」などということはあまり考えることはないのですが、私達はそういうこととずっと向かい合ってきました。

 

釜石公演の時は、町中が壊滅していてバスが通れませんでした。そのため、会場までずいぶん長く歩いて行きました。グラウンドも全て仮設団地になっていて、体育館も我々が行くちょっと前までは400人が生活していた避難所だった所でした。そんなところに我々が作ったポスターを送って、貼っていただきました。

 

舞台が終わると、皆さんが手を握ってくださって、ボロボロ泣いて「ありがとう、ありがとう」と言われるのですね。あれで、もう何が何でもやらなきゃいけないと思いました。

 

これからは震災の記憶の風化と闘うために

2012年度、2年目の公演から、今日出演した3年生が参加します。「ピッチャー」役の松尾君と、「イタコ」役の盛さんに来てもらいました。彼らが1年生で入ってきて初めて行ったのが、仙台市の若林区での公演です。まだ全然手つかずで、荒れ放題になっていたところをみんなで歩きました。その時何を思った?

 

盛さん:学校なのでサッカーボールとか、研究ノートとか、そういうものが一面にバラバラになって落ちていて、そういうのを目の当たりにしたのは初めてだったので、悲しくなりました。

 

松尾君:僕達が向こうを元気づけようと頑張って行ったのですが、見に来てくださった方からこっちが逆に元気づけられたというか、ものすごく熱い歓迎をされて、感激しました。帰る時、小学生が500mくらいずっとついて走って来たり…。

 

そうだったね。今年の宮城県の公演では、大川小学校にも行きました。皆さんご存知のように、生徒74人、教員10人が亡くなった石巻市の小学校の跡地です。ここに献花して黙祷しました。毎日、一日に何度も手入れをしているのではないかというくらい、ものすごく手がかけられていて、やはり重みがありました。この体育館のところに小さい石が積んであって、かざぐるまが一杯刺さっているんです。それを見て、我々は青森県人なので、恐山の賽(さい)の河原の風景と同じだと感じました。だから、親が自分よりも先に死んだ子供の為にしてあげることというのは一緒なんだな、と強く思いました。

 

今日で52ステージ目になります。最初の年は、被災された方々をなんとか元気づけたいという気持ちで行ったのですが、2年目、3年目、今年4年目になるにしたがって、闘っているものが違ってきたような印象があります。ものすごい勢いで風化するのですね。感想文やアンケートなどの「ああ、こんなことがあったと思い出しました」「遠いものになりつつある震災を思い出しました」といった言葉に危機感を感じています。はじめは3年やったら終わりかな、と思っていたのですが、今はそういう「風化すること」と闘うためにやり続けなければ、という思いを固めています。

 

 

 

「いつでも全力」が合言葉!

演劇部のメンバーへインタビュー

松尾健司君(3年生) 

 『もしイタ』ではピッチャー役

我満望美さん(3年生) 舞台監督

吉田夏海さん(2年生)

三津谷友香さん(1年生)


中学の時に演劇をやっていた人は多いのですか。中学校の演劇とどう違いますか。

松尾君
松尾君

松尾君:やっぱり、演劇をやりたくてこの高校に来たという人が多いので、やっていた人の割合がちょっと多いかと思います。

 

吉田さん:中学の演劇部は文化部という感じで、発声練習くらいで筋トレもほとんどしていなかったですが、青森中央高校の演劇部では、柔軟や筋トレなど体力づくりがいっぱいで。そこが一番違うなと思います。

 

ふだんはどんな練習をしているのですか。

我満さん
我満さん

我満さん:平日は学校が終わるのが4時で、それからだいたい3時間ほど稽古をしています。土日に稽古がある時は、その時によって9時からお昼までだったり、9時から3時までだったり、と変わりますね。

 

三津谷さん:放課後、毎日3時間の練習時間の中で、発声練習ももちろんやるのですが、背筋とか、姿勢をよくするために体幹のトレーニングをやったりしています。毎日1時間くらいやります。

 

あれだけのセリフ量と激しい動きを身につけるというのはすごいと思いますが、どうやって覚えて、役を作っていくのですか。

 

松尾君:基本的にその人が演技しているときは、周りは舞台から降りて、そこで演技を見るということしています。そういうことを通して自然に動きを覚えていたと思います。僕も、『もしイタ』では、今は「ピッチャー」の役ですが、最初アンサンブルをやっていた時に、前の代の先輩が演じる「ピッチャー」の演技を覚えました。

 

我満さん:初めての作品の時は、配役はオーディションをして、その人に一番合っている役を先生が選んでくださいます。おおまかなことは先生が指導してくださるのですが、「あとは自分でいいと思うようにやってみて」という雰囲気ですね。自由にやってみて、変なところがあれば、先生がアドバイスをしてくださいます。

 

吉田さん
吉田さん

吉田さん:細かい動きについては、先生がだいたいの形を作って、そこからやっている間に緩んできたら、部員の舞台監督が「ここはもうちょっとこうだよ」と注意して、部員同士で形を直しています。

 

リハーサルの時に、意見のある時は、学年関係なく、「こうした方がいいと思います」と言っていましたよね。経験の浅い1年生なんかだとなかなか勇気がいるんじゃないかと思いますが、どうですか。

 

三津谷さん:確かに、けっこうドキドキしますが、言ったことは先生や先輩たちが意見としてちゃんと聞いてくれるので。

 

松尾君:ふだんから、「ここはこうした方がいい」とか、思ったことは先輩後輩関係なくどんどんしゃべり合っています。経験の浅い後輩から言われて、初めて気づくこともあります。

 

我満さん:自分が思っていることを体で表現できないというのは、たぶん、どこの演劇部でも、役者をやっている限り、誰でもぶち当たる壁だと思うのですが、よく先生が、「俺が君にいうことは、君ができることだからね」とおっしゃいます。そういう言葉をかけてくださることで、ポジティブに取り組める、ということはあります。

 

演劇部の雰囲気を一言で言うと、どんな感じでしょうか。

三津谷さん
三津谷さん

三津谷さん:私にとってはすごく居心地がいいです。厳しいといえば厳しいのですが、先輩方に褒められたり、「頑張っているね」と応援してもらえたりすると本当に嬉しいです。怒られるところはあるけど、先輩や先生方が考えて怒ってくれていると思うので、それでどんどん自分が成長しているんじゃないかと思います。

 

吉田さん:私は今2年生ですが、先輩に怒られたりしたこともありましたが、たぶん、ただ仲がいいだけでは部活って面白くないと思います。普段はすごく仲良くできて、よくないときは厳しくズバッと言ってくれて。先輩後輩の関係もすごくいい感じで、楽しいなと思っています。

 

我満さん:一言で言うなら、「いつでも全力」。私たちが全力でいられるのは、先生が全力でいてくださるからで、先生がいつでも全力で、熱く、優しく指導してくださるので、私たちも先生の期待に応えたいと思えます。お互いに高め合っていけている部分もあって、せっかく畑澤先生の指導で演劇をやれるのであれば、とことん鍛えたい、というのが部員全員の思いだと思います。細かい所で油断したくないです。ちょっと厳しいかもしれないのですが、本当に隅から隅まで全力で楽しみたいので、取り組んでいます。

 

松尾君:僕が部室にいて思うのは、ただ一つ、楽しいということ。なんで楽しいのか、と言えば、みんなの意識が高いから。みんながよりよい劇を作り上げたいという意識の下で稽古を重ねているので、あたりまえのこととして、ちゃんとセリフを読み込んできたりとか、動きを確認してきたりとかしているんですね。それに畑澤先生から指導を受けるのもすごく嬉しいです。

 

皆さんの今後の夢を教えてください。

 

我満さん:私は、できれば役者として演劇をずっと続けたいと思うのですが、今は教員になろうと思っていて、それこそ畑澤先生のような指導者になりたいです。演劇とは離れてしまうのですが、舞台監督で身につけた力は自分の進路に絶対に役立つと思うので、そういう意味では演劇で培ったものを活かす進路だなと思っています。

 

吉田さん:こうやって演劇をやっていることってすごく楽しいので、このまま演劇を続けるのもいいかなと思ったりしています。ただ、このメンバーでやっているからこそ楽しいのかもしれないなとかいろいろ考えています。まだ将来の進路はまだ何も決まっていないのですが、できればこの部活で身につけたことを活かしたいなと思います。

 

三津谷さん:私はまだ1年生で具体的な夢はないのですが、私も演劇を活かせる方に、将来行きたいと思います。

 

松尾君:僕は3年ですが、まだ希望する進学先も決まっていないです。でも演劇は続けないかもしれない。やはり、この部活が楽しすぎて、おそらく生涯の宝物になりつつあるので。めちゃくちゃ楽しい思い出は、ここでの記憶として心の中に止めておきたい、みたいな気持ちです。

 

青森中央高校演劇部のみなさん。ガッツポーズの腕の角度が揃っているのはさすが!
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