舩木駿一くん 灘高校[兵庫]3年
(2015年4月掲載)
「これはもはやアイドル映画ではない」。このような意見を公開前によく見たのだが、映画公開日に劇場を訪れた私の感想はこうだった。
「完全にアイドル映画じゃねえか」
この映画がももクロのために作られたのは明らかであり、ももクロを中心としなければ成立し得ないアイドル映画だった。まさに100%アイドル映画だ。しかし、これこそ本広克行監督が目指した「完全なるアイドル映画」だった。
アイドル映画は批判されがちだ。
「アイドルの演技が下手だ」「話が面白くない」「アイドルの売り込み材料でしかない」。
私はアイドル映画が嫌いだったため、同様の意見を抱いている。「最近のアイドル映画は手を抜いている」と、本広克行監督も言う。だからこそ監督はアイドル映画であることにこだわったのだろう。ももクロというアイドルに『幕が上がる』という物語を投影することで、フィクションと現実との間を鑑賞者が行き来できるようになったのだ。
原作を初めて読んだ時、その“初々しさ”に驚かされた。主人公高橋さおりの一人称で語られるモノローグは、50歳のオジサンが書いたものとは思えないほど、部活や進路に悩む女子高校生の様子をリアルに表していた。原作者である、平田オリザ氏は、高校生の微妙な感性を捕らえているのだと思う。原作では主に演劇の部分に焦点が当てられているのだが、映画ではこの微妙な感性がより深く掘り下げられている。
地区大会で敗北するような弱小演劇部の中での、部長高橋さおりの「やめたい」という心の声はあまりに生々しく、中高で退部経験のある私の心を強く打った。しかし、元学生演劇の女王である新任先生の指導や演劇強豪校からの転校生の入部というチャンスを得たことで、彼女の心は動き、全国大会という大きな目標を掲げるようになった。そして、チャンスを得て動き出した彼女たちの姿は、同様に紅白や国立競技場などの大きな目標に向かって仲間と共に努力し続けたももクロによって豊かな彩りを獲得した。
青春を全力でアイドル活動に捧げているももクロだからこそ、彼女たちは主役になるだけでなく、物語を映すスクリーンにもなることが出来たのだ。ももクロというアイドルを取り入れたからこそ物語が厚みを増す。これが監督の言う「完全なるアイドル映画」なのだろう。この作品はももクロだけでなく、鑑賞者にも一つの青春の形を与えることになるのだと私は信じている。
※高校・学年は取材時