高校サッカー選手権での悔しさを糧に、ジュビロ磐田で頑張っていきたい

~東京オリンピックでのゴールにも意欲

小川航基くん(桐光学園高校サッカー部) ジュビロ磐田入団記者会見

(2016年1月取材)

左が小川くん、ジュビロ磐田 強化本部長 加藤久氏
左が小川くん、ジュビロ磐田 強化本部長 加藤久氏

昨年12月にインタビューを紹介した桐光学園高校サッカー部の小川航基くんの、ジュビロ磐田の入団記者会見が桐光学園高校で行われました(1月18日(月))。

 

すでに1月13日にジュビロの寮に入寮し、練習にも参加している小川くんには、この日が高校最後の出校日となるかもしれません。新たにプロの道に歩み出す小川くんに、高校サッカーの思い出やプロとしての決意を聞きました。

 

「桐光学園と言ったら小川航基」と思ってもらえるようになりたい

[小川くん挨拶] 

高校サッカー選手権では、「チームとしては日本一、自分としては得点王、さらに大迫さんの記録超え(※)を目指す」と宣言しましたが、早すぎる敗退ということで、本当にくやしかったです。でも、その悔しかったことを糧に、ジュビロ磐田で頑張っていきたいと考えています。

 

13日に入寮して、いよいよプロサッカーの生活が始まりました。練習にも参加していますが、すでに「ここでパスが来るか、こんなボールが来るのか」と驚かされるような経験を何回もしていて、本当にこれからが楽しみでしかたない、という感じです。

 

※2009年の第84回全国高校サッカー選手権大会で、大迫勇也選手(現ブンデスリーガ・1.FCケルン所属)が挙げた1大会最多得点記録(10点)

 

 

桐光学園出身のサッカー選手と言ったら、中村俊輔さんというイメージがありますが、いずれは全国の、世界の皆さんに「桐光学園と言ったら小川航基」と思ってもらえるようになりたいです。

 

ジュビロ磐田は、中山選手や高原選手、前田選手(※)など日本を代表するストライカーが育ったチームです。自分は、そういった方たちにも負けない、超える選手になりたいと思っています。これからどんどん自分の色を出していって、開幕戦からスタメンで出場できればと思っています。これからもどうか応援をよろしくお願いします。

 

 

※・中山雅史選手 1998・2000年Jリーグ得点王。Jリーグシーズン最多得点、Jでの通算最多ゴール、J1での最年長記録、ワールドカップ本大会日本代表初ゴールなどの個人記録なども持つ。現在はJFL・アスルクラロ沼津所属。

・高原直泰選手 ジュビロ磐田在籍中の2002年に史上最年少でJリーグ得点王。2016年からは自身が代表を務める沖縄SVで現役を続行する。

・前田遼一選手 ジュビロ磐田在籍中の2009年・2010年のシーズンでJリーグ史上初の2年連続得点王。現在FC東京所属。

 

 

東京オリンピックに出て、必ずゴールを決める。目標があるから、どんなに辛くても頑張れる

[質疑応答]

―2020年の東京オリンピックでは23才、ちょうど中心になる世代だと思います。まだ少し遠い将来のことですが、オリンピックにかける思いを教えてください。

オリンピックという目指すものがあるのは嬉しいですし、そういう年に生まれたのは運がいいと思います。東京で開催されるからには、まずそこに出て、必ずゴールを決めるというのが目標です。その目標があれば、これからどんな辛いことがあっても頑張れると思います。

 

―小川さん自身、ずっと「超高校級」と言われてきましたが、その小川さんから見て、プロはどこが違うと思いますか。

 

いちばん思ったことは、体つきが未熟だということです。この1週間練習に参加して、自分より背の高いセンターバックの選手に手だけで押さえつけられてしまう、ということも経験しました。そういったところは、筋トレやマシンを使ったトレーニングも取り入れて鍛えていきたいと思っています。

 

ジュビロには、Jリーグ屈指のセンターフォワードの選手がいて、練習会で見た時は「…化け物みたいだ」と思いました。でも、ついていけないわけではなさそうだし、何より学ぶところも多いので、上に見過ぎるのでなく、しっかり食いついていきたいと思っています。

 

―今まででいちばん印象に残っている試合は何ですか。

 

2年生の時の全国選手権の県予選です。初戦で日大藤沢高校と対戦して、自分も特に何もできず、まさかの初戦敗退でした。この試合がいちばん悔しく、おそらく一生忘れられないと思います。

 

転機はキャプテンになったとき

 

―桐光学園の3年間とはどんな時間でしたか。また、高校生達に向けて、一言お願いします。

1年生の頃の自分は本当に未熟でした。あの頃は、ただ先輩についていくだけで、自分さえよければいい、という感じでした。

 

3年になって、そこががらっと変わりました。自分が多少悪くても、チームが勝ったらよしよし、と思えるようになったのは大きいと思います。高校3年間でプレーだけでなく、人間力も上がったと思います。監督もよく言われるのですが、人間力が上がれば、プレーの精度も上がる。人間力のある選手は、最後にどんなに苦しくなっても体を張れる。そういうことを学びました。

 

小さい頃の自分は、ただキックが飛ぶだけの選手でした。小学校6年生の時、同じクラブの友達5人でジュニアユースのクラブの入団テストを受けて、僕1人だけ1次選考で落とされたこともあります。自分としては、中心選手だったつもりだったのに。そういった挫折は何回も味わいました。

 

そんな経験も通して、最初は未熟でも努力のしかたで変われることを学びました。だから、どんな人でもあきらめずに、上を目指してほしいと思います。

 

 

―1年の時は自分さえよければ、と思っていたという小川さんが、3年になってがらっと変わったといういちばんの転機は何だったのでしょうか。

 

やはり、キャプテンに任命されたことです。

 

[鈴木監督]

実は、1年生の時の小川くんは、先輩たちについていくことさえしないくらい我が強かったんです。でも、でもキャプテンになって本当に180度変わって、チーム全体に対する気遣い、心配りということができるようになりました。それがピッチのプレーに反映されるようになり、人から評価されたり、本人の強気な姿勢を自分の中で温めることにつながったりしたのではないかと思います。

 

[小川くん]

キャプテンになったことで自分の中で変わったのは、「このチームで日本一になりたい」という気持ちがすごく強くなりました。でも、そのためにはまだまだ成長しきれていないことがわかってきて、だんだん考え方が変わってきました。だから、変わらなきゃとか、こうなろうと思って変化したというわけではないです。

 

挫折を味わったその時が一番成長できる

 

―人間力について、社会人になるならプレー以外のところで監督や先生方からこうしなさい、と言われたことはありましたか。 

特に何かを言われた、ということはありません。ただ、プロになったら人間力は今までよりもっと必要だと思います。先輩やベテランの人がたくさんいて、ピッチ外では上下関係があるのは当たり前だと思いますが、ピッチの中でも縮こまってしまうような選手には絶対にならないようにしたいと思います。 

 

―挫折を味わった時の、気持ちのよりどころは、何だったのでしょうか。また、小川さんが考えるプロ選手像は何でしょうか。

 

挫折を味わったその時が一番成長できることだと学びました。苦しい時、いちばん這い上がろうとするエネルギーがあると感じます。苦しくても、今落ち込んでいる場合じゃないだろ、と思って努力することが一番大事かな、と思いました。

 

プロとしてやっていくには、外国人だと言葉が通じないし、今までやってきたことが通用しない人とプレーすることになります。その中でできるだけ自分の色を出して、自分はこういう選手なんだ、ということを周りに伝えていきたいと思います。

左から 桐光学園サッカー部 鈴木勝大監督、小川くん、ジュビロ磐田 加藤久氏
左から 桐光学園サッカー部 鈴木勝大監督、小川くん、ジュビロ磐田 加藤久氏

 

18才以下の日本代表のエースとして、国内のみならず海外からも注目を集める小川くんの、「何度も挫折を味わっているんです」という言葉は、正直意外に聞こえました。しかし、「挫折を味わったその時が一番成長できる」という気持ちで乗り越えて来たからこそ、これからぶつかることが楽しみでたまらない、という強さにつながるのではないかと思われました。

 

 

2016年のJリーグは、2月27日に開幕します。一足早くプロの世界に飛び出していく小川くんを、応援していきたいと思います。

 

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