日本一の映画監督の登竜門『PFF(ぴあフィルムフェスティバル)』に31年ぶりに高校生が入選!

久留米大学附設高校 映像研究同好会『流れる』

(2014年12月掲載)

『流れる』監督・脚本:橋本将英/企画:濱田壮/撮影・編集・録音:松永侑/撮影協力:橋本真治/出演:樽見啓
『流れる』監督・脚本:橋本将英/企画:濱田壮/撮影・編集・録音:松永侑/撮影協力:橋本真治/出演:樽見啓

今、日本映画はとっても盛り上がっているように思います。大画面スクリーンでの3Dが当たり前になり、気軽に行けるシネマコンプレックスも増え、高校生でも関心の持てるような日本の青春映画も多く上映されています。

しかし一昔前は、TVドラマはあったけれど、高校生が見るような日本映画はほとんどなく、洋画、特にハリウッド系のエンターテイメントとされる映画しか見なかった時代があったらしい。その原因の一つは、面白い映画を作れる監督が少なかったから。

そんな中、「日本人も日本映画も観るし、また十分素晴らしい作品が作れる」と、新人監督の発掘のための映画祭を始めたのが「ぴあ」であり、大学生が始めた会社だったそうです。そして、できたのが『PFF(ぴあフィルムフェスティバル)』。

PFFは1977年にスタートし、以来40年近く日本映画界の活性化に貢献してきた伝統のある映画祭。吉高由里子さんを世に出した『紀子の食卓』の園子温監督も、妻夫木聡さんや玉木宏さん主演、男子シンクロ部を広めた『ウォーターボーイズ』や、綾瀬はるかさんCA役の『ハッピーフライト』を作った矢口史靖監督も、『時をかける少女』の谷口正晃監督も、まさにこの映画祭から巣立って行ったのです。PFFがなければ、今溢れている映画も活躍している俳優さんもいなかったことになります。

今では、映画や音楽に加え、自主演劇、学園祭などの情報やチケットは手軽に手に入ります。それはインターネットがあるから。しかし、それがない時代に、「ぴあ」は、若者たちの自主活動を掘り出し、雑誌で広げ、今ではインターネットで当たり前になっている状況を作った会社。中央大学の学生が始めたそうです。

そんな「ぴあ」が始めた映画祭「PFFアワード2014」に、今年は31年ぶりに高校生監督作品が入選しました。久留米大学附設高校の映画研究会で作った『流れる』という13分の短編作品。作品の応募に、年齢や、ジャンルや長さの規制のないPFFアワードには、これまで2万点以上の力作が審査にかけられてきました。短編、中編、長編、そして、ドラマ、ドキュメンタリー、アニメーション。今年も528作品が応募されました。

その中でも特に審査委員たちを熱狂させた21の作品に、高校生による自主制作映画が選ばれました!!

「みらいぶ」では、作品を作った久留米大学附設高校2年生の橋本将英君<監督・脚本>と、その映画研究会に所属し撮影・編集を担当している福岡県立伝習館高校の松永侑君に、どうやったらそんな作品が作れるのか、聞いてきたのです。<取材・撮影 新造真人>

『流れる』
『流れる』

橋本君は、高校1年の夏に映画好き何人かと一緒に映画同好会を結成し、映画を撮り始めます。その2作目が今回の『流れる』です。

PFFアワードのセレクション・メンバーの1人である、結城秀勇(ライター・映写技師)さんは、橋本君たちの以下のように作品を大絶賛しました。

「すぐそばを川が流れる公園で暮らす少年。彼はある時、傍らに置かれた小石の存在に気づく。小石と共に、公園と川との間の狭い空間を転々と行き来する少年。しかし、ある時小石は忽然と消えてしまう。一切のセリフを排し、たったひとりの登場人物と彼の所持する石との不思議な関係を描く。 登場人物の背景もわからぬまま、観客は彼と彼の手に握られた小石とを、そして彼の周りに広がる光景をただ見つめることになる。蹴り上げられたサッカーボールが川の向こう岸に落下する時、寄りかかった木の大きさが引きの画で示される時、ありふれたなんということのない光景が目の前でその空間としての豊かさを押し広げられて行く。最小限の要素を用い、そこから普遍性と壮大さを引き出す本作には、紛れもない才能が宿っている。」

 

僕たちにもわかってはいけない映画

久留米大学附設高校の橋本将英君<監督・脚本>、福岡県立伝習館高校の松永侑君 <撮影・編集> インタビュー

左:久留米大学附設高校2年 橋本将英君<監督・脚本>、右:福岡県立伝習館高校2年 松永侑君 <撮影・編集>
左:久留米大学附設高校2年 橋本将英君<監督・脚本>、右:福岡県立伝習館高校2年 松永侑君 <撮影・編集>

—2人が映画に関わることになったきっかけは何かありますか。

橋本:ずっと映画が好きだったんです。中学を卒業する時に僕の学校では卒業論文を書くんです。僕は小説を書きました。それ自体は面白いものではなかったけど、ストーリーを作るのは面白いと思いました。その時に僕に文才が無いのは証明されて(笑)、出来るものは映画かなって思いました。それで高校一年生の時に、『放課後』という映画を、友達を巻き込んで作ってしまったのが始まりです。

松永:僕は、小4くらいまで、将来の夢が映画監督だったんです。ゴジラとかガメラとか怪獣映画が大好きで、怪獣映画の監督になろうと思っていました。高1の時に、『流れる』で役者をやっている樽見と出逢って、彼に「俺の友達が映画を撮るってよ」って声をかけられました。それをきっかけに橋本の映画作りに関わり始めました。

—『流れる』について教えてもらってもいいかな。
作品を見させてもらったんだけど、正直よくわからなくて・・・(笑)。

橋本:僕もよくわからないんですよ(笑)。
 
松永:撮影をしている時はわかっていたんです。ただ、入選してからは、いろいろな解釈が生まれて、何故この作品を撮ったのかわからなくなってしまいました。入選監督に話を聴く機会があって、ある1人の監督が「あれは、君たちもわかっちゃいけない映画だ。逆に、君たちがわかっていたら、良くない」と言われたりもしました。


気持ちは沈むけど、いつかは上がってくる

松永:作品を応募するまではPFFの規模とか全然知らなかったんです。作品の入選の知らせがあった時は、大したこと無いと思っていたんです。調べてみたら500以上の応募の中から21作品に選ばれたと知り、本当に驚きました。しかも、31年前に同い年の人が入選していたみたいで、僕たちの入選は快挙だったみたいです。

橋本:PFFの締め切りが迫って来て、何本か脚本を書いたんです。でも、ほとんどつまらなかった。『流れる』の脚本書く直前くらいに、個人的に嫌な出来事があり、考えたことがありました。「気持ちは沈むけど、いつかは上がってくる」。とくに僕らが努力しなくても、時間が経てば気持ちも上がって来ますよね。僕はそれを主題に映画を撮ろうと思い、この脚本を書きました。

—映画の最後では、主人公の男の子は石を失くして落胆するよね。そして、石を追うように彼もどこかに行ってしまうけど、これは希望に繋がっているの・・・?

橋本:そうですね。彼は落胆して、どっかに行きます。けど、彼の持っているその感情もどっかに行く。どこかに行くのはある意味で救いでもあるんです。僕の中でそれは希望みたいなもの。この映画はそういうものなんです。


たった一つのアイデアで物語は面白くなる

橋本:あまり言いたくないんですが、奇抜なモノを作ろうっていうのは最初から思っていました。オーストラリアの短編映画の監督が、8分くらいの短いゾンビ映画を撮ったことがあります。これは始まった瞬間にどういう状況なのか理解できる。たった一つのアイデアで物語を面白くするというのは、全くお金をかけなくても出来るということをその時知りました。これは僕にも出来るんじゃないかなと思い、映画の設定を飛び抜けたものと決めました。唯一の登場人物である主人公を河原にいるっていうぶっとんだ設定は、観る人を引き込むし、僕たち自身も撮るのが楽なんです。

松永:最近は、高校生を対象とした自主制作映像作品のコンクールである映画甲子園もあって、学生が学生映画を撮る時代。僕たちはそれが嫌で、そうじゃない作品を作ろうとも考えていました。映研では、橋本が書いた脚本には文句は言わないというスタンスでやっています。でも、彼の脚本はメチャクチャ。よくこいつこんな無茶苦茶な脚本で「撮るぞ!」って言えるなって思う。でも、橋本の脚本はサイケで、読んでいるうちにすごく面白くなる。

—『流れる』では登場人物のセリフが一切無いけど、脚本はどのように書いていたの?

橋本:最初はナレーションを入れる設定で脚本を書いていました。最終的にはそれは消したんですけど、基本はそれにそってストーリーが進んでいく予定でした。

松永:初めて見る人は「なにこれ・・・!」っていうナレーションでした。僕はそれを気に入っていたんですけど、声を録音するときの環境が悪く、ノイズが沢山入っていました。映像と音を合わせた時に面白くなかったので、消してみました。もし録音環境が良く、声が入っていたらPFFでの入選は無かったと思います。ただ、ナレーションがあろうが無かろうが、根底にあるコンセプトは全部一緒なんです。全部は流れるっていう。

 

人生をドラマ仕立てにして、僕は頑張る

—この撮影で、大きな苦労はあったりしました?

松永:『流れる』の前にあった脚本を、橋本がいきなり放棄したことがあって、一週間くらい空白の期間がありました。その時はもう、PFFの締め切りが数週間の所まで迫っていたんですよ。橋本はありとあらゆる連絡手段を断ったりして、「監督は本当にメチャクチャだよね」と友達と話をしました。けど、僕はやっぱり映画を撮りた かったんです。大好きな映画『バットマン ビギンズ』のお気に入りの台詞で「人はなぜ堕ちるのでしょう。それは這い上がるためだ」ってのがあるんです。これをかっこつけて引用して、長文のメールを橋本に送りました。そしたら次の日、撮影メンバーの1人に橋本が、「今日、学校にカメラ持って来て」と連絡して、ようやく映画の撮影がスタートしました。

—めっちゃ青春映画っぽいじゃん!

橋本:実際は、自分で書いた脚本がつまらなくて、こんなの撮りたくないと思っていただけなんですよ。それを松永が勝手にドラマ仕立てにしている。

松永:俺はあのメールで橋本が勇気を出してくれたと思ったんですけど、後々聞いてみたら、「勇気をもらったというか、あれは面白かった」って言うんです。僕はこういった感じに、いろんなものをドラマ仕立てにすることで、PFFもそうですけど、頑張って来ました(笑)。


今の僕に出来ることをやっている

—最後に訊いてみたいんだけど、橋本君にとって映画とはなんですか?


橋本:僕こういうのは言わないって決めているんです。「映画とは◯◯だ」と言ってしまうのがすごく嫌。僕は今の社会がどんなふうになっているとか、リアルな世界のことなんて知りません。だから、フィクションのものを作ることしか出来ない。今の僕に出来ることをやっている感じです。

将来についていえば、僕は映画監督になりたいです。サンフランシスコに有名な映画学校があって、留学してその学校に行きたいと考えています。


 『ガンバレとかうるせぇ』レビュー

同じくPFFアワード2014で入選した『ガンバレとかうるせぇ』を、『流れる』の撮影・編集を担当した松永侑君(福岡県立伝習館高校2年)が論じます

『流れる』予告編

【取材を終えて】

新造真人

どっさりのクエスチョンマークは、やがて自分なりの解釈へ

『流れる』を見たとき、この映画を理解しようと僕の頭はパニックになった。登場人物は1人だけだし、セリフは一切無い。奇妙なことになぜか彼はいつも石を持って河原の周りをうろついている・・・。商業映画に慣れすぎていたせいか、解釈を観客に丸投げしているこの作品に関して、どっさりのクエスチョンマークを僕は抱えた。わからなすぎて、僕の中では作品の解釈すら生まれなかった。別に無理に理解する必要も、解釈を与える必要も無いのかもしれない。だけど、やっぱり、監督には何故この映画を作ってしまったのかを尋ねたかった。

橋本君たちの口から返ってきた応えは意外なものだった。「僕たちにもわからない。わかっちゃいけないとも言われた」。意外すぎて、思わず笑ってしまった。そして、同時に深い安心も覚えた。ただ、話を聞いていくとやはりコンセプトはあった。それは、映画の題名にもなっているけれど、全ては「流れる」というテーマ。僕は、少年が石を無くしてどこかに行ってしまうことに落胆を結びつけた。しかし、橋本君はそれに希望を結びつけていた。この時、僕は新しい世界に出逢った心地を覚えた。「どこかに行くということは、ある意味で救いでもあるんです」。彼のこの言葉には、どこか腑に落ちるものがあった。

取材を終え、彼らとの話を経て、僕は自分なりの解釈を『流れる』に持ち始めた。喜びも悲しみもいつかは消えてなくなる。そういった普遍的な無常観を、いつの間にかすくいあげた。異質だが、遠くない世界を彼は持っている。


(新造真人:みらいぶで連載中)

『第36回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)』

上映日程もこちらから: http://pff.jp/36th/

【京都】12月13日(土)~19日(金)、2015年1月3日(土)~9日(金) 京都シネマ
【名古屋】12月18日(木)~21日(日) 愛知芸術文化センター
【神戸】12月20日(土)~23日(火・祝) 神戸アートビレッジセンター
【福岡】2015年4月24日(金)~26日(日) 福岡市総合図書館

『流れる』予告編:http://pff.jp/36th/lineup/award13.html

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