(2017年8月取材)
【物理】当たり前を当たり前とせず、科学の言葉とあくなき探求心で問いかける
山田修平くん 京都大学工学部物理工学科3年
今年も総文祭の物理部門11校を取材しました。物理学といえば、巨大で高額な実験と、宇宙の起源や人工元素の生成など、日々の生活とかけ離れた印象を持つ人も多いかもしれません。まるで日常生活における「物理」は解析し尽くされ、完成しているといわんばかりに。しかし高校範囲の古典物理学が適応される、日常生活の範囲ですら未解明の現象はいくらでもあります。流し台での水の振る舞いや出口の混雑緩和、水切りの原理からレンズに映り込む「心霊現象」まで、今年度の発表を聞けば、それを改めて痛感させられます。
いかに人間が無知で世界が未解明な存在であるか、その事実を前に茫然とする私を傍目に、少しでも既知の領域を広げようと科学のフロンティアに切り込む彼らの姿は際立って凛々しく思えました。サイエンスとは膨大な知識を蓄えることでも最先端の機具を用いた実験でもなく、当たり前を当たり前とせずに科学的手法で解明しようとする姿勢であると、改めて感じさせてくれます。
そのような姿勢を前提として、工夫された自作装置やこだわりぬいた精度、緻密に練られた実験条件などで構成される彼らの研究は目を見張るものがありました。特に今実験のためだけに作成された実験装置の数々には、汎用的な研究室のものに比べて、ある種、無骨なエレガンスを感じました。
またそれらの研究をイラストや実演などを交えつつ、様々な技法を凝らしてしてわかりやすく、かつ正確に発表していることに感動しました。自身の中で既知となった事象を、それを未知とする他者に共有するのはとても難しい。高校生でありながら他者である私たちに新たな概念を創造しきる彼らの力量には脱帽しました。
審査員の方々をも唸らす発表の数々は、科学に対する貢献となるだけでなく、高校生たち自身の貴重な経験になるのではないでしょうか。今後の活躍に期待するとともに、私もその姿勢と熱意に見習い、研究活動に従事しようと思います。
【化学】高校生の「本気」を感じた夏
堀 賢人くん 東京大学教養学部2年(理科I類)
夏真っ盛り、石巻では石巻川開き祭りが開催されていた。僕は可愛い後輩の発表を見に行くような軽やかな気持ちで会場に向かった。しかし、目にしたのは想像を超える本格的な研究発表のオンパレード。高校生の本気を肌で感じた2日間だった。
今回の総文祭での僕の担当は化学部門。学校の授業で行われる実験は、教科書に記された手順に沿って行う。しかし、ここに集った高校生たちは、みな自らの力で実験方法を考案していた。あらゆる可能性を潰していき、課題の解決・仮説の立証を目指していた。豊かな発想力と大胆な実行力に圧倒されっぱなしの2日間だった。
世界に目を向け、社会問題の解決を目指した研究が多かったことも印象に残っている。水不足の解決を目指した、海外の青年隊との共同実験や、宍道湖のヘドロ問題の壊滅を目指した研究などがそうだ。高校生たちの「自分たちが解決したい!」という熱い気持ちが伝わってきた。
発表態度も立派だった。発表前は緊張で顔が強張っていても、いざ自分の番が回ってくると実に堂々としていた。それだけ準備をしてきたということだろう。また、聴き手側になったときは、真剣に耳を傾け、鋭い指摘や疑問を投げかけていた。気がつくと、僕自身も取材者という立場を忘れ発表内容に聞き入っていた(「安心してください、取材もしていますよ!」 to河合塾)。
総文祭。それは高校生の志を共有し、お互いを高め合う場だった。高校生が自分の興味を突き詰めている姿勢に僕自身も多くを学ばせてもらった。数年後には、彼らは大学生となっていることだろう。共に研究をすることがあるのかもしれない、あったら楽しいなあと思いながら会場を後にした。
【地学】自分たちの研究の価値を確認することから説得力が生まれる
登阪亮哉くん 東京大学教養学部2年(文科II類)
昨年に引き続き、地学部門の発表を取材しました。今年は特に、「研究内容を丁寧にまとめて伝える」ということに皆さんが力を入れていたように感じます。言葉選びやグラフの見せ方などに様々な工夫が見られて、わかりやすかったです。このような発表の工夫は、研究によって得た知見がいかに価値のあるものなのかを再確認する意味でも重要です。研究の中で特に重要だった点は何なのか、自分たちでしっかりと理解している学校の発表は、聞いていてとても面白かったです。
また、地学部門が対象としているのは、空模様や川沿いの岩石、あるいは夜空の星々など、普段何気なく目にしつつも、あたりまえに存在するが故に、かえって疑問を持ちにくいものが多いように感じます。それらに対し、いかにユニークな視点から疑問を呈して、そこにどのようなアプローチで答えを見出していくかというのが地学の面白いところだと思います。そういった点で、日頃からしっかりと周囲の現象を観察しつつ、特徴的なサンプルの発見や、社会問題などからもヒントを得て研究テーマを定めた学校があったことは、素敵だなと感じました。その姿勢がこれからも活かされることを楽しみにしています。
[ポスター(パネル)] 「研究内容をどこまで話すか」の見極めの大切さと難しさ
小坂真琴くん 東京大学教養学部2年(理科III類)
昨年の化学部門に続いて、今年の総合文化祭はポスター部門を取材しました。ポスター部門は、物理、化学、生物、地学すべての科目に該当する発表を見られる唯一の部門で、改めてレベルの高さに驚かされました。
ポスター部門ならではの、素晴らしいと思った点は、情報量の調整です。口頭発表部門の場合は明確に発表時間が区切られていて、その前提でどれだけ話すかを決めていくと思います。ポスター部門も、審査の時には時間がしっかり区切られていますが、それ以外は発表者の裁量に任せられています。
どれくらいの知識を持っている人が、どれほど興味を持って、どこに重点を置いて聞いているか、推しはかりながら発表するのは非常に難しいと思います。学校によっては、細かく説明内容を変えて話していて、質問をされると新たに資料を出してくるというスタイルをとっているところもあり、よくできているなと感心しました。
調べたことはすべて話したくなってしまうものです。教養学部の時に所属していた国際関係論のゼミでは、調べる量が多くなると、内容をすべて話したくなってしまい、発表時間をオーバーしてしまうことがままありました。しかし、それでは自分は満足できても、聞く側にとっては辛いものがあります。
いろいろ深く調べたけれども、最初に自分から話すのはここまでにして、これから先は質問されたらきちっと資料を出して説明する。その線引きをきちんと考えて発表に臨む姿勢は学ぶべきところが多くあると感じました。そしてこれからも理系の内容に深く関わって活躍していく上で、一般の人の目線から自分の研究内容を語る力は必要不可欠になると思います。十分にその素質がある高校生たちが、さらにその能力を磨いていって活躍してくれることを、勝手ながら期待しています。
[ポスター(パネル)] 伝えたい想いが織りなす青春の1ページを感じて
森本優貴美さん Massachustes Institute of Technology, Electric Engineering 2年
いたるところから聞こえてくる質問。そして、それら一つ一つに熱い眼差しで答える発表者たち。ポスター発表では、専門知識のない人にも、わかりやすく話す必要があり、それに加え、その場で突然もらった鋭い質問にも答えなければなりません。それはとても難しいことですが、同時に、面白いことでもあります。会話の中から思いがけず新たな視点が見えてきて、発表する側も、聞く側も、それぞれ新たな学びを持って帰れる。それが、ポスター発表の醍醐味だと思います。今回、自然科学部門のポスター発表を取材する中で見たのは、まさにそういう姿でした。
そんな交流の場を支えていたのが、高校生研究者たちの「伝えたい」という強い想いです。デモンストレーションやサンプル、写真などを事前に準備していた高校が多かったのが印象的でした。その想いの裏にあるものは、彼らの持つ課題意識と、発表の日まで重ねてきたたゆまぬ努力だと思います。高校生たちは、自分たちの周りにあった問題を解決することを目標に、そのために調べなければならない小さな課題をきちんと見定めていました。そして、研究を進める中で新たに生まれる小さな課題も一つ一つ解決する姿勢を持っていました。自分自身の高校時代の研究活動を懐かしく思ったとともに、大学生になった自分ももっと頑張らねばと気が引き締まりました。
一般に、スポーツや音楽と比べ、自然科学の研究が大きく取り上げられることは少ないかもしれません。しかし、私が今回見たのは、キラキラ輝いた高校生たちの青春の1ページでした。今後もそれぞれの情熱を大切にしてほしいです。