(2017年8月取材)
■部員数 21人(1年生7人・2年生6人・3年生8人)
■答えてくれた人 田中美月さん(2年)
「がん死亡率の高さ」と「食」の関係~遺伝子の突然変異を抑えられる香料とは?
この研究の背景には、私たちが住んでいる秋田県のがん死亡率の高さというものがあります。秋田県では、食道がん、胃がん、大腸がんなど、特に消化器系のがんの死亡率が全国でも1位から6位と高くなっており、大きな問題です。
がん化の一因には、主に複製ミスによる遺伝子突然変異があります。そこで研究の指針を「食品に応用できる物質の中から突然変異を抑制できるものを探す」「食を通じて発がんの抑制、健康の増進を図る」ということに定めました。
また、幅広く使用され応用しやすいという観点から香料に着目することにしました。
バニラの香料である「バニリン」は、過酸化水素によるDNA酸化損傷を抑制するということが知られています。またこの効果はアルデヒド基による抗酸化作用によるものだという可能性が示唆されています。
そこで私たちはアルデヒド基を持つ物質には同様の効果があるのではないか?という仮説を立て、同じくアルデヒド基を持っている「シトラール」という物質に着目しました。
しかし、シトラールの遺伝子突然変異に関する報告は今までにありません。
相同染色体を持たない「一倍体の出芽酵母」を使って
実験に用いた材料は一倍体の出芽酵母です。一倍体というのは相同染色体を持たない細胞のことです。出芽酵母を用いた理由としては、人間と同じ真核生物のモデルであること、また培養が容易で増殖も早いということ、一倍体の状態でも増殖できるということが挙げられます。
一倍体細胞を用いた理由をまとめたのが、こちらのスライドです。
相同染色体を持つ二倍体細胞では遺伝子突然変異も起こしますが、それ以上に染色体の数や構造の変化が多く検出されてしまうという問題があります。
一倍体細胞でも染色体の突然変異は起こりえますが、これが起きた細胞は生存が不可能またはごく少数しか見られないため、結果として遺伝子突然変異だけが検出されることになります。
DNAに酸化損傷を与えるために用いた変異原物質は、過酸化水素です。
スライドのように塩基置換を誘発します。
実験1 : 異なる条件の培地で培養して突然変異頻度を比べる
実験方法です。過酸化水素、シトラール、酵母菌液を混ぜた液を30℃で3時間培養し、それぞれを「全ての菌が生育できる完全培地という培地」と、「カナバニン耐性を獲得するという突然変異を起こした菌のみが生育するカナバニン含有最少培地」という2種類の培地に撒きました。
それらを30℃で2~3日培養した後、コロニー数をカウントし、スライドに示した式で突然変異頻度を算出しました。
ここで、カナバニンというのは酵母の成育に必要なアルギニンという物質の類似体です。これが誤って取り込まれてしまうと、酵母菌の成育を阻害します。CAN1遺伝子というカナバニンの取り込みに関与する酵母の遺伝子が正常な場合は、カナバニンを取り込んでしまうので、カナバニン含有最少培地では生育が不可能です。
しかし、CAN1遺伝子に突然変異が起きるとカナバニンを取り込まなくなるので、カナバニン含有最少培地でも生育が可能になります。
シトラールは過酸化水素による遺伝子突然変異を抑制する
一倍体酵母を用いた遺伝子突然変異の検出の結果です。
青いグラフが過酸化水素を加えていないグラフ、赤いグラフが過酸化水素を加えたグラフです。横軸はシトラールの濃度です。
シトラールのみを加えていった青いグラフを比べると、遺伝子突然変異頻度に変化は見られません。このことからシトラールは自然突然変異に影響しないということがわかります。
またシトラールを加えておらず、過酸化水素単独処理のグラフを加えてみると、過酸化水素によって遺伝子突然変異頻度は上昇しているということがわかります。しかしシトラールの存在下では、過酸化水素の有無で遺伝子突然変異頻度に変化は見られません。
このことから、シトラールは過酸化水素による遺伝子突然変異を抑制するということがわかりました。
ここで遺伝子突然変異の生成プロセスについてモデル図(下図)を用いて説明します。
まず過酸化水素によって処理を行うことでDNAに損傷が起こります。このダメージによって、遺伝子突然変異が起きてしまうということがあります。このときシトラールの作用について考えられる可能性は2つです。
1つ目はDNA損傷に至る前に過酸化水素に働き、過酸化水素を不活性化するというもの。もう1つはDNA損傷が起きた後DNA修復を活性化するようにシトラールが働くというものです。シトラールはこれらのどちらの働きを行っているのか、ということを調べるために、可能性(2)を検証し、組換え修復というものを観察しました。
組換え修復というのはDNA酸化損傷に対する主な修復方法の1つです。しかし私たちが今まで実験で用いていた一倍体酵母は、複製によってできた「姉妹染色体」という構造が全く同じ染色体しか持っていないので、組換え修復の前後で遺伝情報が変化せず、組換え修復が起こったのかどうかがわからないのです。
しかし相同染色体を持っている二倍体酵母では、組換え修復の前後で異なる遺伝情報が入ることがあり、組換え修復が起こったかどうかを直接観察することが可能です。
実験2 : 二倍体酵母を使って組換え修復が起きたかどうかを確認
私たちが用いたYAS3001という二倍体酵母は下図のような構造をしています。カナバニン耐性を獲得したものには、下図に示すように3つのパターンが考えられます。
左と真ん中の2つが相同染色体間の組換えによるものです。私たちはこの3つのパターンを、それぞれアデニンやリシンに対する栄養要求性によって区別して調べました。
相同染色体を持たない「一倍体の出芽酵母」を使って
その結果のグラフです。シトラールを加えずに、過酸化水素単独処理をした場合のグラフと比べてみると、過酸化水素によって組換え頻度は上昇しているということがわかります。しかしシトラールを加えた場合は過酸化水素による組換え頻度の上昇や低下は見られません。
このことから、可能性(2)で挙げたシトラールがDNA修復の活性化をしているという説が打ち消され、可能性(1)「DNA損傷に至る前に過酸化水素に働き、過酸化水素を不活性化するというもの」が正しいのではないか考えられることになりました。
これらの実験から、シトラールは外因性のDNA酸化損傷が生じるのを抑制しているということがわかりました。
また、現実に食品に応用できるか?ということで、実際の食品に含まれるシトラール濃度で明らかなものを調査しました。
すると現在市販されている、あるアルコール飲料では、シトラールの濃度が5.9mМでした。私たちの実験では、この10000分の1の濃度0.59μМで効果を示しています。
今後の研究課題~シトラールの作用をさらに細かく検証
今回シトラールは、酸化還元反応によって過酸化水素を不活性化するという可能性を考えましたが、そもそもシトラールの作用は本当にアルデヒド基の還元性によるものなのか、ということを改めて検証し直す必要があります。
この方針としては、シトラールのアルデヒド基が不活性な官能基に置換しているシトラールジメチルアセタールという物質を用いて実験をしてみたいと思っています。
また、シトラールは酸化還元反応によって過酸化水素を不活性化するという仮説が正しいのであれば、DNA酸化損傷以外の損傷には効果を示さないはずです。
これについては、その他の変異原を用いて検証をしていきたいと思います。
■研究を始めた理由・経緯は?
顧問の先生が大学院生のときに行っていたという研究のお話を伺って、ぜひ自分たちも挑んでみたいと思い、始めました。秋田県民に限らずがんは日本国民にとって大きな関心事であると思いますが、そういった課題に高校生であるわたしたちも真摯に取り組んでいかなければならないと感じていることも大きな動機です。
■今回の研究にかかった時間はどのくらい?
研究自体は昨年度から始まりました。1日あたり3時間で1年と3か月くらいです。
■今回の研究で苦労したことは?
全く未知の領域だったので、基本的な実験操作を覚え、スピーディーに大量の処理を行えるようになるまでが大変でした。あとは梅雨の時期のコンタミ(雑菌混入)と、冬場に試薬の溶媒が凍ってしまうというトラブルが多発して苦労しました。
■「ココは工夫した!」「ココを見てほしい」という点は?
実験を行った後の考察に大きく時間を割きました。また、発表するにあたって専門用語や現象をいかに知らない人にわかりやすく伝えるか、という点では大いに頭をひねったので、研究内容だけでなく実際のポスターやスライドに用いた図も見てほしいところです。
■今回の研究にあたって、参考にした本や先行研究
・秋田県健康環境センター保健衛生部(2014年11月):死亡統計からみた秋田県の疾病状況に関する報告書3-2010年秋田県の年齢調整死亡率-
・Wu S, Powers S, Zhu W, Hannun YA.(2016).Substantial contribution of extrinsic risk factors to cancer development .Nature.529(7584):43-7.
・佐々木晴香, 佐藤春佳, 吉岡絵里, 遠藤金吾(2014)「 香料の抗変異原性に関する研究」 化学と生物.52(12) : 843-845.
・Shi C, Song K, Zhang X, Sun Y, Sui Y, Chen Y, Jia Z, Sun H, Sun Z, Xia X. (2016 Jul ). Antimicrobial Activity and Possible Mechanism of Action of Citral against Cronobacter sakazakii. PLoS One. 14;11(7):e0159006.
・Kapur A, Felder M, Fass L, Kaur J, Czarnecki A, Rathi K, Zeng S, Osowski KK, Howell C, Xiong MP, Whelan RJ, Patankar MS.( 2016 Jun). Modulation of oxidative stress and subsequent induction of apoptosis and endoplasmic reticulum stress allows citral to decrease cancer cell proliferation. Sci Rep. 8;6:27530.
・Ohnishi G, Endo K, Doi A, Fujita A, Daigaku Y, Nunoshiba T, Yamamoto K.( 2004 Dec). Spontaneous mutagenesis in haploid and diploid Saccharomyces cerevisiae.Biochem Biophys Res Commun. 17;325(3):928-33.
・Daigaku Y, Endo K, Watanabe E, Ono T, Yamamoto K. (2004 Nov ).Loss of heterozygosity and DNA damage repair in Saccharomyces cerevisiae. 22;556(1-2):183-191.
・Feig DI, Loeb LA.Oxygen(1994 Jan). radical induced mutagenesis is DNA polymerase specific.J Mol Biol. 7;235(1):33-41.
■今回の研究は今後も続けていきますか?
今後も引き続き、シトラールの作用機序の解明を行っていきたいと考えています。様々な類似構造の物質でも検証することで、「アルデヒド基による抗酸化作用である」という仮説をより確かなものとしていき、研究を体系化していきたいです。
■ふだんの活動では何をしていますか?
生物部は本研究のほかにも、食品保存料ナイシンについての研究を行っています。
■総文祭に参加して
全国の高校生の研究発表を聞いたり、質疑応答を行ったりする中で新たな視点や刺激を得ることができました。また、発表練習を通して自分たちの研究への理解も大いに深まりました。とても有意義で、得るものが多い総文祭だったと思います。
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