(2016年7月取材)
■部員数
7人(うち1年生2人・2年生3人・3年生2人)
■答えてくれた人
佐藤颯人くん(3年)、藤原和樹くん(3年)
山形市の西北西にある朝日町大沼は、60余りの浮島が存在する国の天然記念物となっています。私たちはこれまで浮島について減少の理由や成因を探ってきました。
朝日町大沼の浮島(山形県朝日町HPより)
http://www.town.asahi.yamagata.jp/soshiki/11/252.html
2013年7月の豪雨による地滑りで、この大沼付近に大きな岩盤が出現しました。この岩盤を覆っていた表土が地滑りによって滑り落ちたためです。そこで、私たちは2014年にこの岩盤の性状や地下構造から、浮島の成因の可能性を探ってきました。
こちらが2014年10月と2015年の5月の岩盤の写真です。この岩盤は約1500万年前、山形が深海に沈んだ後に形成されたものと推測され、ほぼ北西から南東方向へ亀裂が走り、奥が19センチほど隆起しています。しかし2014年10月の時点でこの亀裂はほぼありませんでした。一方、2015年5月には、風化した土砂が多量に流入しているのにもかかわらず、数カ所で幅10センチ以上、最大35センチの亀裂が生じていました。亀裂内部の底には水も確認され、深さは約143センチでした。
2014年の測定結果から推定した地下構造です。岩盤の露出部はほぼ2枚の平面で、ともに17度の傾斜を持っています。聞き取り調査では60年以上、この状態であったと推定されます。しかし2015年5月には岩盤の亀裂が深まり、動いている気配が見られました。動きを追えば昨年の疑問の解決とともに、今後の大沼の環境を予測できると考えました。
私たちは、以前から大沼が約1300年間、埋まっていないことに疑問を持っていました。本来、沼は遷移が進行すると埋まっていくはずです。
同じく埋まらない湖沼に琵琶湖があります。琵琶湖は100万年ほど前からむしろ広がり始め、約30万年に今の形になりました。その原因は、琵琶湖の北湖が毎年1mmずつ沈降しているからです(※)。もし大沼も同様に沈降しているという情報が得られれば、埋まらない原因ということになるかもしれません。
※http://www.geocities.jp/biwako_sosui/biwakokanren.htm
私たちは資料と観察から、地下構造の変化を考えました。まず、山形の大地の成り立ちを調べました。東北地方は東西からプレートの圧迫を受けています。1500万年前は全体が海でしたが、圧迫によって奥羽山脈や朝日連峰が隆起しました。しかし、圧縮に耐えきれずたくさんの断層や陥没が起こり、その多くは地滑りなどにより埋まりました。
大沼はおよそこの位置で、左沢複向斜帯にあります。よってこの隆起やこの亀裂は、かつての断層が再び動いた結果と考えました。すなわち、この構造が上下と左右、両方向に動いていると考えました。なおこの考えが正しければ、最初に提示した大沼は琵琶湖同様、少しずつ沈んでいるため、遷移で沼が埋まらないといった仮説を支持することになります。
向斜・撓曲(とうきょく)について
産業技術総合研究所 地質調査総合センターHP「断層と褶曲」より
https://www.gsj.jp/geology/fault-fold/fault-fold/index.html
この岩盤を発見した2014年5月から10月までは、この斜面の傾きはほぼ17度でした。しかし2015年11月22日では、一部斜面にゆがみができていました。そこで、この斜面を1メートルの間隔に角度を測定し、積算しました。結果、緑のグラフに示された測定3の傾きが昨年10月同様、ほぼ17度であったのに対し、左の測定1の部分で岩盤の落ち込みが確認されました。
この傾向は写真からも見て取れます。これは今年の6月19日の写真です。写真中央、測定3付近は亀裂はあるものの、大きな変化は見られません。一方、左側の測定2付近は、段差が目立ちます。手前側の岩盤は写真左側で相対的に沈降しています(同じ位置からの写真ではありません)。
亀裂の変遷を見てみます。これは2年前の4月末の写真です。それほど亀裂は見えません。
この写真が昨年5月です。亀裂が現れています。
そして右が今年6月です。さらに矢印の測定2付近で亀裂が目立っています。加えて亀裂手前の岩盤の傾斜は17度から16度になっており、手前側が沈降しているようでした。そして、2015年5月から11月の7カ月の間に、手前の岩盤が相対的に約11センチ下がり、さらに翌年2016年の6月には断層がさらに開いていることが確認されました。
さらにこの岩盤を叩いてみると、中が空洞のように響く場所がたくさんありました。ここは岩盤の南東約70メートルで、先ほどの岩盤はおよそこの位置にあります。この場所は、10メートル四方ほどの畑になっていました。この畑を作るため、何トンもの岩盤を削り運び去ったとは考えられないので、この岩盤の下では、下の図のように表面に現れにくい、向斜の沈降による撓曲(とうきょく ※)があると推定されました。
※褶曲(しゅうきょく)が起きた地下に断層ができると、 そこが最も強度の低い場所になるため、その断層が動き続け、その地表では断層の延長上の一部分に変形が集中し、そこだけ地層が急傾斜したり、ときには逆転したりする。この現象を撓曲と呼ぶ。
しかし、沼ができるためには、斜面の一部が沈降するだけでなく、一方で隆起が必要です。大沼は東側が盛り上がっています。断面図を作ったのがこちらです。この960メートル付近の盛り上がりは、大沼に対して相対的に隆起したか、大沼側が沈降してできたと考えました。私たちはこのおよそこの位置に断層があり、断層左側が相対的に沈降したと考え、さらに地図を調べました。
現地調査の結果、予想通り断層が見つかりました。断層はおよそこの線の位置で、左側と右側の地層は同一で、少なくとも20メートルの落差があります。先ほどの山は、相対的に隆起した痕跡と考えられます。
これをまとめると、図右奥の出羽山地方向に背斜軸(山地の盛り上がり)があり、図右奥最上川方向に向斜軸(大きな谷)があり、この大沼の右南東方向960メートル付近に北北東報告に進む断層を含む隆起があること、また大沼の左北西約60メートルに北東に走る撓曲があり、デフォルメすると、大沼ごと図右のプレートが図の下方向に約19センチ沈降し、右方向に約35センチずれたことになります。
これを裏付ける資料がないか調べたところ、意外なところにありました。東日本大震災です。これは震災後4年間の大地の動きです。左の図で蔵王は10センチ以上、大沼付近も10センチ近く沈降しています。また右の図はずれの方向を示します。凡例から計算すると、図の右下の大沼はほぼ東に232センチ、左上の出羽山地は196センチ動いています。2つの地点でずれに37センチの差があり、つまりこれと同じ規模の地層の裂け目がどこかに必要になります。
これがまさに大沼での測定結果と同じ傾向となるので、私たちは大沼に現れた亀裂は、東日本大震災と何らかの関係があるのではないかと結論づけました。しかしこれは確実な証拠ではないので、今後さらに周辺の地形・環境について調査していきたいと考えています。
■研究を始めた理由・経緯は?
2010年に、山形大学名誉教授山野井先生を通じて大沼地区の方々から「近年浮島がどんどん沈んでなくなっている。理由を高校生の目で調べてほしい」というのが、最初のご依頼でした。お伺いすると、すでに大学の先生方がご研究を始められており、私たちの出番はないと思いました。
しかし、若白髪のように芯葉が枯れ込んだアシを見つけ、虫害を直感しました。アシの虫害は専門家の方々から否定されましたが、これについて調べた結果、浮島を形成しているミズゴケおよびミズゴケ泥炭には全く浮力がなく、そこに生育しているアシなどの浮力が浮島の浮力であることを突き止めました。その後の調査では、イネの害虫であるニカメイガをアシの中から実際に発見するなどして2013年に発表しました。
同年、地区の方々には申し訳ありませんが、私たちにはすばらしいチャンスが訪れました。7月の豪雨です。これにより広範囲に地滑りが起き、傾斜17度の平らな岩盤が露出しました。山形県の基盤をなす1500万年前から200万年前、海の中で形成された地層です。ベントナイトを含む緻密できれいな岩盤で、これはその表面に不透水層とチキソトロピーでウォータースライダーのような滑り台を形成します。その先には大沼の出島があり、この岩盤が浮島形成に関与していると直感しました。
浮島は現在は人が切り出していますが、かつては自ら浮かんだと伝承があります。また、単に釧路湿原のヤチマナグのように、ミズゴケや植物が水面に張り出しただけでは水面を漂うだけで浮島は浮きません。ミズゴケなどの下に1m以上のミズゴケ泥炭層を伴わなければ浮島ができないことがわかりました。しかし、ミズゴケを乗せた泥炭層がそのまま地滑りで沼に沈み込み、その浮力で浮くとすれば現在の浮島が自然にできることとなります。調べてみると浮島が古文書に登場する少し前に大地震があったこともわかりました。
この地震により、泥炭下部がチキソトロピーで液状化し、続いて起きた地滑りで浮島ができたと仮説を立てることができました。今回発表した内容はこの岩盤に関わります。最初の疑問はこの大沼が1300年間埋まっていないことです。本来沼は遷移により陸地化しますが、それが起こっていません。同じく埋まらない沼(湖)に琵琶湖があります。琵琶湖が1000年に1mm沈降しているのと同じように大沼も沈降していると考えました。
先ほどの岩盤中央部には一本の亀裂が存在します。これを観察すると年々亀裂は拡大し、大沼側が相対的に沈降していることがわかりました。また、近くの地形観察から、実際にはこの岩盤の下の岩盤が沈降し、上の岩盤が取り残される撓曲になっている可能性も出てきました。加えて、大沼反対側の山の北方約2㎞では大沼方向に伸びる正断層が見つかり、大沼側が相対的に沈降していることも見つかりました。このようにして、私たちの研究は仮説と観察を積み上げて成り立っています。
■今回の研究にかかった時間はどのくらい?
2010年から始まりました。観察地が遠いため、月1~2回で5年半かけています。
■今回の研究で苦労したことは?
顧問は生物の先生で、私たちは地学基礎を習い始めたばかりでした。先輩も高校地学しかしておらず、専門用語の使い方がまるでわかりません。機材もほとんどありません。また、せっかく良いヒントが見つかっても定期考査と重なり、発表までデータをそろえられるか不安でした。
■「ココは工夫した!」「ココを見てほしい」という点は?
多くのサイトを活用しました。発表では城地図や色別標高図を重ね合わせて動画にしたり、登山ルートの高低を表示したりするサイトを多用しました。特に国土地理院のサイトや産業総合研究所のサイトにはお世話になりました。
■今回の研究にあたって、参考にした本や先行研究
先行研究はありません。
・『山形県の地質』山野井 徹(東北地質調査業協会)
・『山形盆地と外縁山地の形成』山野井 徹(東北地質調査業協会)
・『蔵王火山および白鷹火山の巨大山体崩壊発生時期』八木浩司、早田勉、井口隆、原口強、伴雅雄(第四紀学会)
・『南ドイツの排水及び泥炭採掘が行われた高層湿原における植生の自然遷移と自然再生―4つの長期的モニタリング調査で得られた結果の比較解析』ポシュロド ペータ他(地球環境Vol.12 No.1 97-112(2007))
・『日本の土壌―6 泥炭土』庄子貞雄(URBAN KUBOTA NO.13)
・『本邦大地震概説』 大森房吉(震災豫防調査會報告 震災豫防調査會報告 68)
・『本朝地震考』(大沼大行院系図文書)
・『山形県朝日町大舟木地滑り災害』 朝日町役場広報
・国土地理院Web
・ウォッちずHP
・地質Navi HP
・国立研究開発法人防災科学技術研究所HP
■今回の研究は今後も続けていきますか?今後はどんな研究をしますか?
・現在の大沼は南北220mですが、この大沼を南岸とする南北3㎞の大きな沼の存在が見えてきました。これを証明します。
・甲殻類の内分泌器官についてほとんど文献記載がありません。先輩は岩波の生物学事典や高校大学の参考書にない現象を見つけ、従来の記述では説明できない現象に見つけました。再現性も十分あります。これをさらに証明したい。
・セレナイトという巨大な石膏の結晶があります。しかし石膏の溶解度は低く到底結晶を作り得ません。この巨大結晶ができる条件を探しています。
・2004年銅を熱して金や銀・橙や赤紫に変わることを見つけました。これは構造色であるとされていますが、その構造色を作る膜厚が計算より薄いと考えられます。また、405nmの光照射で赤と緑の2つの励起光を観察できること、干渉色に伴う方向性がないこと+αから、今までの仮説では不十分であることがわかっています。これを突き止めたいと思います。
・尚、本校生物部は化学部と協力し、天文以外何でも挑戦しています。
■ふだんの活動では何をしていますか?
科学ボランティアとして、年間3回科学工作教室に講師として参加しています。銅を金や銀色にした研究も、金や銀の風車作りの実験として使っています。今夏は、『さわれる淡水の生き物』『消えたり色の変わる妖怪カード』『(園児でも5分で作れて)歩いても揚がる妖怪凧』で、多くの子どもたちに喜んでいただきました。
■総文祭に参加して
「全国はすごいなぁ~」の一点にまとめられます。振り返れば、周りの雰囲気に飲まれていました。今年は前年のびわこ総文祭と異なり、自然科学の全部門が1つの会場で行われたため、全国の様々な研究をみることができました。私たちよりはるかに多くの苦労を経てなされた研究、英語のスピーチを織り交ぜた研究、質疑応答を通した活発な意見交換。すべてにおいてレベルの高さに驚かされました。
また、パワーポイントに比べ、より少ない量でわかりやすくまとめ上げられたポスター発表も印象に残りました。私たちもこのような中で堂々と発表でき、知ってもらえたことは誇りです。また、他校生とのたくさんの交流も楽しめ、とても貴重な体験ができた大会でした。
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