(2019年11月取材)
高校生が様々な国の大使になりきって、実際の国連で議論される国際問題について、国益・国際益に資する解決策を話し合う模擬国連。第13回全日本高校模擬国連大会(グローバル・クラスルーム日本委員会・公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター共催:以下、全日本大会)は、過去最多の全国253チーム、170校がエントリーしました。
今回は初めて会場を東京ビッグサイト(東京都江東区有明)に移し、書類選考で選ばれた86チームが、43チーム(国)ずつ2つの議場に分かれて熱い議論を繰り広げました。(2019年11月16日(土)、17日(日))
今回の議題は「死刑モラトリアム」。死刑制度のある国(存置国)に対して、将来的な死刑廃止に向けて、死刑の執行を停止しようと働きかけるもので、議場は、国連総会の中で社会・人権・文化等に関する議題を扱う(それゆえ、対立の深い議題が多い)第三委員会の設定です。
毎年手ごわい議題が続く全日本大会ですが、今回の「死刑モラトリアム」は、例年以上に「大使になりきること」の難しさが感じられました。
なぜこの議題は難しかったのでしょうか。「議題概説書(Background Guide)」と当日の議場レポート、大使の皆さんへのインタビューから振り返ってみましょう。
※この議題解説書の著作権はJCGC(グローバルクラスルーム日本委員会)に属します
死刑存置国は、国際的には少数派ではあるけれど…
国連で議論される問題には、例えば「地球温暖化」や「サイバーセキュリティ」のように、解決にあたっては一つの国や地域にとどまらず、文字通りグローバルな連携が必要なものもあれば、「ジェンダー平等」や今回の「死刑モラトリアム」のように、国際的に見て好ましくない状態にある国に対して改善を促すものもあります。
日本には死刑制度があり、最近はほぼ毎年執行されています。凶悪犯罪の裁判で、被告人に対して死刑が言い渡されたという報道を目にしても、「あんな事件を起こしたのだから、死刑も仕方ない」と思ってしまうこともあるかもしれません。しかし、実は世界的に見ると死刑存置国は少数派なのです。
死刑は、言うまでもなく最も重い刑罰(極刑)です。しかし人権、特に人間の尊厳と生命権の観点から見れば、国家が個人の生命を奪うことであり、人道的には重大な問題となります。
国連では、1948年の「世界人権宣言」で、「生命権(right to life)」を国際社会において初めて明文で規定して以来、生命権と死刑の問題を、形を変えながら継続的に議論してきました。
やがてヨーロッパ諸国を中心に死刑を廃止する国が増加し、1991年発効の「死刑廃止条約(死刑の廃止を目指す市民的および政治的権利に関する国際規約・第二選択議定書)」では、死刑の執行が条約上で禁止され、死刑廃止措置を義務化しています。この条約は現在88か国が締結しています。
2007年からは、死刑の速やかな廃止が難しい国でも、十分な議論や世論の形成のために死刑の執行を停止する「死刑モラトリアム」が正式な議題として取り上げられるようになりました。この議論は、おおむね2年に1回行われ、死刑モラトリアム決議に賛同する国は徐々に増加しています(※)。そして、死刑存置国(=死刑制度を持つ国)の中にも、法律上は死刑制度があっても10年以上死刑を執行していない、もしくは、死刑を執行しないという公約をしている、事実上のモラトリアム状態にある国もあります。
※国連において死刑モラトリアムの議論が次になされるのは2020年であることから、今会議は、開催日時設定を2020年12月として行われました
死刑存置国・廃止国にはどのような国があるのか、調べてみてください。だいたいこの国なら廃止(あるいは存置)だろうなと、予想がつく国もありますが、一方で、犯罪が多かったり、政情が不安定だったりするイメージがあっても、制度としての死刑は廃止している国もあります。
ざっくり分けると、ヨーロッパや中南米諸国のほとんど、さらにカナダ、オーストラリアなどが廃止国である一方、日本や中国をはじめアジア、イスラム圏の国々が、おおむね存置国。アフリカ諸国は存置国・事実上の廃止国・廃止国と様々であり、アメリカは州によって存置・廃止が異なります。
先ほど存置国は少数派と言いましたが、2016年度の人口統計で言えば、死刑制度がある国の人口は世界の人口の50%以上を占めています。ということは、世界中の半分以上の人が、ことと次第によっては死刑によって命を奪われるかもしれず、その中には、冤罪(えんざい)や誤審、不十分な審議によって死刑の判決を下される人もいるかもしれない。そう考えると、死刑制度は看過できない問題なのです。
自国の法制度に基づく以上、安易な合意形成はゆるされない
今回の議題については、
論点1. 人権と死刑
論点2. 死刑モラトリアムと死刑の制限
の2つの論点が設定されました。
論点1では、人権、特に人間の尊厳と生命権の射程を、死刑との関係で議論します。ここでは、具体的な政策を立てるのではなく、死刑の存在と人権の関係をどのように考えるべきかを論じ、政策を立てる上での原則とします。
論点2では、何を目的としてどのような死刑モラトリアムを求めるのか、また死刑に加えられるべき制限はどのようなものかについて議論します。
では、死刑廃止国の立場に立てば、どのようなことが言えるでしょうか。まず、「生命なしには、他のいかなる権利も成り立たない」という意味で、生命権は全ての権利の基礎となり、他の権利とは一線を画す重要なものと考えることができます。死刑はその生命権を侵すものであり、本来望ましくない刑罰である。だから、死刑は廃止されるべきであり、少なくとも制限される必要がある。これが死刑廃止国側の基本的な立場です。
一方、存置国からすれば、死刑の対象は殺人やテロ、薬物関連犯罪やスパイ行為など、その国の社会にとって最も重大な犯罪であって、やみくもに死刑を科しているわけではない。そして、死刑があることで犯罪を未然に抑止することができるという抑止的な意味があると主張するでしょう。「我が国は死刑制度が存在することで社会の安全が保障されているのだから、他の国から文句をつけられる筋合いはない」ということになります。
今回の議題では、死刑に直接関係しない人権問題や、裁判を経ない処刑一般に関する議論はアウトオブアジェンダ(会議中に議論ができない話題)なので、死刑存置国と廃止国という対立の構造は明らかです。
しかし、死刑は国内法によって制定されているものですから、当然のことながらその国の主権を尊重しなければなりません。存置国・廃止国とも、自国の法制度やスタンスに反するような妥協はできないので、お互いに安易な歩み寄りはできません。そのために、合意形成は非常に難しくなります。
コンセンサスは難しくても、少数派の立場を認めさせる必要
今回は、1日目に論点1と論点2でそれぞれWP(Working Paper:ワーキングペーパー)を作成し、2日目にそれをDR(Draft Resolution:決議案)にまとめることになっていました。議論の組み立てとして、論点1で述べられた「生命権の範囲」に基づいて、論点2の「死刑に加えられるべき制限」を求めることになるので、「存置国vs.廃止国」という二項対立だけでなく、「生命権の範囲をどこまでとするか」という視点も必要になってきます。そのため、どのようなグルーピングで話し合えばよいのかについて各国の思惑が交錯し、初日の冒頭で議事をどのように進めるかを決めるモデレート・コーカス(着席討議:モデ)は、A・B両議場ともかなりの時間がかかりました。
さらに、立場や意見の近いグループに分かれて、それぞれの国の意見を発表して共有しながら、対立するグループとの合意形成のための交渉を行うアンモデレート・コーカス(非着席動議:アンモデ)が始まってからの議論は、これまでの全日本大会とはかなり違った様子になりました。
今回、各国が死刑モラトリアムに対してどのような立場を取っているのかは、検索すればすぐにわかるため、相手国との交渉で腹の探り合いのような議論をする必要はありません。そのため、立場が近い国同士は比較的スムーズに話が進みますが、存置国と廃止国の間ではなかなか議論が噛み合わない場面が目立ちました。
生命権が大事であることは、誰しも認めることでしょう。しかし、存置国の大使からすれば、「生命権は至高の権利である」というだけの理由で、死刑を廃止する(あるいはその方向に進む)提案に賛同するわけにはいかないのです。仮に、その場で賛同したとしても、国内世論が許さないでしょう。
国の数で言えば存置国はマイノリティであるため、存置国だけでDR提出に必要なスポンサー国数(今回は15か国以上)を集めることも難しい状況でした。一方で廃止国側も、死刑モラトリアムに賛同する国の意見をまとめるだけでは、実効性のある内容にはなりません。
そうなると存置国は、死刑制度の存置という譲れない一線を守りつつ、人権との関係や、死刑の範囲の制限の方向性については一定の理解を示す、という姿勢を取ることで、議論からの孤立を回避し、会議のテーブルに着いたという意義を残すことが必要になります。1回の会議で全てを進めようとするのでなく、少なくとも会議の結果として提出されるDRに、自分たちの立場(=国益)を守る条文を入れることによって、「死刑モラトリアムを進める際に、存置国の立場に配慮することが必要である」という存在感を示すのです。
今回の会議では、死刑存置か廃止かという二項対立では、異なる立場同士が折り合うことができません。その中で、立場に関わりなく様々な国と意見を交わして信頼を得ていた大使たちは、死刑存置の是非よりも、人権をどのように考えるか、ということから合意できる点を引き出したり、「死刑の制限」を考える際に国家の主権のあり方に配慮することの必要性を示したり、と重層的な視点から交渉を進めていることがわかりました。また、死刑制度を持ちながら執行を停止している国や、近年死刑を廃止した国の大使は、存置国・廃止国の双方をつなぐために、文書の文言をきめ細かく確認している様子が見られました。
その分、議論には非常に時間がかかりました。後で話を聞いた大使の皆さんの中にも、「最後に焦ってしまって、最終的な文書の詰めの時間が足らなかった」「十分に交渉できない国が残ってしまった」と時間配分の難しさを口にした人が何人もいました。一方で、なかなか進まない議論に焦るあまり、PPP(Position and Policy Paper:担当国の国情や政策についてまとめた事前の文書)とは矛盾するグループの意見に引っ張られてしまった大使もいたようです。
大使として国際会議に臨むことの意味
模擬国連の理想的なゴールは、各国の国益・国際益をともにかなえる政策を考え、合意形成を繰り返しながら多くの国を巻き込んでDR(決議案)を作り上げ、最終的に全会一致(コンセンサス)で採択されること、と考える人が多いかもしれません。しかし、今回の死刑モラトリアム問題に関しては、どんなに「理想的」な提案であっても、自国の法制度やスタンスに反するDRに賛成することは許されないので、もとよりコンセンサスは期待できませんでした。
そんな会議の最終盤、投票の直前に行われたアイルランド大使(B議場)のスピーチは、存置国・廃止国の立場を超えて、大使として会議に臨む姿勢を改めて問いかけるものでした。国際問題を議論する姿勢として、皆さんにご紹介したいと思います。
[アイルランド大使のスピーチ]
「コンセンサス」。皆がこの言葉を好みます。全ての大使による合意を得るというのは、確かに魅力的に聞こえます。しかし、私は皆さんにお聞きしたい。コンセンサスは、この会議において本当に良い結果をもたらすのでしょうか?
死刑モラトリアムに関する異なった価値観と政策を持った43か国の大使が、今この議場にいます。様々な観点から「コンセンサス」について見てみると、それは妥協の産物でしかありません。全ての大使がコンセンサスを得るために、それぞれの政策を捨てなければならず、それは各国の国益に反することになります。
全ての大使は、各国の数多くの国民を代表してここにいます。自国の国益を無視した、意味の無いコンセンサスを得て、皆さんは自国へ帰れますか?もちろん、その答えはNOでしょう。
さらに言えば、私たちはこれまで2007年から13年もの間、国際会議の場でこの論題を話し合ってきました。毎回の決議案は次第に効果の大きいものとなり、死刑廃止に向けて歩みを進めています。私たちは、かつての大使たちの最大限の努力によって築き上げられてきた死刑廃止に向けた長い歴史を、たった一度の会議によって無視し、そして壊すことができますか?意味を成さないコンセンサスは、この議題の歴史を台無しにすることを意味します。国益と国際益のバランスをもう一度しっかりと考え、胸を張って帰国できるような行動をとっていただきたい。アイルランド大使はそう願っています。
■マイノリティであっても、自分たちの意見を世界に発信し次の会議につなぐために
■日本代表として高校模擬国連国際大会に出場する大使の皆さんに聞きました
2日間の会議終了後の閉会式で、議場ごとに最優秀賞1チーム、優秀賞2チーム、地域特別賞1チーム、ベストポジションペーパー賞1チームが発表されました。最優秀賞・優秀賞・地域特別賞の大使の皆さんは、来年ニューヨークの国連本部で開催される高校模擬国連の国際大会に日本代表として派遣されます。
[最優秀賞]
桐蔭学園中等教育学校Aチーム[神奈川県] 担当国:オーストラリア(A議場)
駒場東邦高校Bチーム[東京都] 担当国:メキシコ(B議場)
[優秀賞]
海城高校Aチーム[東京都] 担当国:チリ(A議場)
大妻高校[東京都] 担当国:ケニア(A議場)
灘高校[兵庫県] 担当国:アイルランド(B議場)
渋谷教育学園渋谷高校[東京都] 担当国:ボツワナ(B議場)
[地域特別賞]
札幌日本大学高校[北海道] 担当国:アメリカ(A議場)
愛光高校Aチーム[愛媛] 担当国:ベルギー(B議場)
[ベストポジションペーパー賞]
鹿児島県立甲南高校 担当国:アルゼンチン(A議場)
長野県上田高校Bチーム 担当国:カナダ(B議場)
※地域特別賞は、昨年の第12回大会より3年間設置するもので、過去に高校模擬国連国際大会への派遣生を輩出していない都道府県に所在する高校出身の参加者最大1チーム(各議場につき)に授与されます
◆グループ全員の意見を引き出し、全世界で死刑を廃止させることを目指して
大久保慶隆くん(中等4年)、渡辺健太くん(中等5年)
桐蔭学園中等教育学校[神奈川県] 担当国:オーストラリア
◆マジョリティーを占める国が一方的に押し付ける決議案では真の合意は生まれない
楜澤(くるみさわ)哲くん、湯山瑛司くん(2年)
駒場東邦高校[東京都] 担当国:メキシコ
◆存置国と廃止国の架け橋となり、安易な妥協にならない議論を引き出した
双川凜生くん(2年)、持田隼人くん(1年)
海城中学高校[東京都] 担当国:チリ
◆各国の国益だけでなく、この会議の先にある国際益を視野に入れて
西部陽菜さん、丹後向日葵さん(2年)
大妻高校[東京都] 担当国:ケニア
妻鹿涼介くん、後藤 慧くん(1年)
渋谷教育学園渋谷高校[東京都] 担当国:ボツワナ
◆廃止国vs.存置国の二項対立を超え、全ての国が納得できる枠組みを目指した
外園 駿くん、石川 将くん(2年)
灘高校[兵庫県] 担当国:アイルランド
◆「議論のためであって、敵対しているわけではない」という姿勢で交渉に臨んだ
波多野天哉くん(1年)、西村航くん(2年)
札幌日本大学高校[北海道] 担当国:アメリカ
◆現地の人の生の意見を収集。議論をよい方向へ向ける舵取り役に徹した
田村彰悟くん、清水 昂くん(2年)
愛光高校 (愛媛県) 担当国:ベルギー
日本は国際社会の「優等生」というイメージがあります。社会インフラが整い、生活水準も高い。他国との紛争がなく、何よりも治安の良さは世界でもトップクラスです。犯罪の検挙率も高く、裁判も公正に行われ、犯罪に対する刑罰もきちんと法律で決められています。多くの国民にとっては、その刑罰の中に死刑があることに対して、日常的に不都合を感じることはほとんどありません。
しかし、外国の人から「死刑は生命権を侵害する残虐で非人道的な刑罰であり、人権上大いに問題がある。死刑存置国は法治国家としてあるべき姿ではない」と言われたら、皆さんはどのように思うでしょう。自分が当たり前と思っていたことが、国際的にはそうではないことを知ったとき、どこか別の国の、あるいは遠い昔のことのように思っていた「人権問題」が、まったく違って見えてくるのではないでしょうか。
その意味で、今回特に存置国を担当した大使は、国際社会におけるマイノリティの立場や心情を痛感したことでしょう。「あなたの国の○○は、国際的に見て問題があるから改善すべきだ」と言われても、自国の国益に反する提案には、たとえそれがどんなに理想的なものであっても賛同はできない。時間切れは言い訳にはなりません。国益に資するためには、あらゆる可能性を模索しなければならないのです。これはどの国でも、どんな問題に対しても同様です。
これが「大使である」ことなのです。
模擬国連の議題は、毎回ふだんの生活からはかけ離れたテーマが与えられます。そして、大使として会議に臨む際には、自分の意見がどうであるかではなく、国の立場で行動することが求められます。全く異なる考え方を受け入れ、それに沿って行動することはとても難しいことではありますが、一つの問題を様々な角度から考えるチャンスを与えてくれます。
正解は一つではありませんが、行動次第で最適解を引き寄せることができるのが模擬国連のおもしろさです。ぜひ一度チャレンジしてみてください。
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※現在は2019年に開催された第3回大会のホームページにリンクしています。