(2019年11月取材)
「模擬国連に出場する」というと、「海外に行ったことがないから英語に自信がない」とか、「ウチの学校の近くでは、練習会をやっているところがないからダメだよね」と考えてしまう人はいませんか。確かに、多くの人と議論しながら合意形成を目指すためには、その「場」の雰囲気に慣れていることは大事かもしれません。
そんな中で、地方の高校からほぼ初心者で全日本大会に出場し、日本代表に選ばれてニューヨークの国際大会に出場したペアがいました。第11回全日本高校模擬国連大会にノルウェー大使として出場した鳥取西高校の皆さんです。全日本大会では、「ジェンダー平等」という難しいテーマで、ジェンダー平等先進国としての立場から議場をまとめ、多くの国の信頼を得ました。数々のハンディを克服し、国際大会でも大活躍した原動力は何だったのでしょうか。
■あなたが模擬国連と出会い、出場を決めたきっかけを教えてください。
高校までの部活動はずっと卓球部に所属しており、模擬国連活動を長く行ってきたというわけではありません。模擬国連に出会ったのは、自身の得意科目である英語を活かして、何か活動をしてみたいと思っていた矢先、ペアにそのような活動があると教えてもらったことがきっかけです。
議題となる大きな枠組みの社会問題には興味がありましたし、ディスカッションや交渉などの活動中のスタイルも自分がやってみたいと思えるものだったため、迷わず飛び込もうと思いました!
■模擬国連出場にあたって、まず手始めにどのような準備をされましたか。その中で、一番役に立ったのはどのようなことですか。
まず、右も左もわからない状態でしたので、最初は送られてきた資料に目を通しました。また、高校の先生に、他校の模擬国連活動の見学に行かれたことのある方がいらっしゃったので、その先生にお話を聞き、イメージを膨らませていきました。しかし、この段階では本当にこれであっているのか…?とか、この部分はどうするのだろう、といった疑問ばかりで、とはいえ、その疑問に答えてくれる人もおらず、途方に暮れているといっても間違いではないような状態でした。
インターネットでも調べましたが、あまり有用な情報は見つけられませんでした。とりあえず、出場するために必要な書類審査は、模擬国連の知識を必要としないため、それに向けて頑張ろうといった心持ちでした。出場が決まってからは、幸運ことに一度だけ練習会に参加することができ、そこで一通りの流れややるべきこと、振舞い方などを学ぶ機会を得ました。これをもとに、本番でのペア間の分担、大使として目指すことなどを二人で決めていきました。
■書類審査の準備ではどのような工夫をされましたか。
課題図書、また課題図書以外の本を読み込み、図などにも整理して、自分が理解していることが論理的にねじれていないかといった点には注意しました。特に私たちの時のトピックは、イスラーム社会と西洋社会の共生という、なじみのないものだったため、生半可な理解でおかしなことを書かないよう、社会科の先生に質問もするなどして、万全を尽くしました。また、ペアでそれぞれ各部分については、お互いに見合ってチェックしました。
■全日本大会出場が決まってから、特に力を入れて準備や練習をしたことを教えてください。
メインのスピーチはペアの担当になっていたため私が練習したことはありませんでしたが、公式発言では、私も発言しなければなりません。想定できる意見に対する発言や、主張したい内容などについては、いくつか短めの原稿を用意しておき、当日困らずに読めるよう、何度も声に出して読む練習はしていました。とはいえ、本番大勢の前でマイクをもって発言するときは声が震え、脚も震えてしまいましたが…。
■全日本大会2日間の印象を教えてください。議論を進めることがとても難しかったと思いますが、どのような工夫で乗り越えられました。
全日本大会の印象は、非常につらいものだったという印象があります。当然、結果として賞をとったのでポジティブな印象もありますが、それを抜きにして思い起こすと、会議が始まってすぐに集まった国の間で分断が起きて、自国の政策に耳を貸してもらえず、最終的な文章は否決されるなど、「gender equality」 という議題の難しさもあって非常に苦しい会議でした。
そんな中、尽力したのはお互いの理解を深めることです。議場が分断されるであろうことは事前に予想していたため、相手の考えをできる限りトレースして落としどころを探りたかったのですが、結局上手くいきませんでした。ただ、会議後半には、一つのグループとして協力して議論を進めることが不可能だとしても、こちら側の提案に対して反対をしないでもらうための議論を積極的に行いました。
結局、私たちのグループの文章は否決されてしまいましたが、少ないグループの国数にもかかわらず可決まであと一歩のところまでの賛成票を得、成果を形にすることができました。
■国際大会出場が決まってからは、どのような準備をされたか教えてください。
大使を務める自国のこと、関係の強い周りの諸外国のこと、それから議題に関する世界的な歴史、状況についてのリサーチが中心でした。特に役に立ったのは、リサーチを行い、自国の政策を考える際、自分たちの交渉における最低妥協ラインを二人で共有できたことです。
実際の会議でも、1日目にあまりうまくいかなかった状況から、2日目に何とかそのラインを念頭に持ちこたえ、自分たちが持ってきた政策に対する理解を多くの国から得、文章に残すこともできました。
■全日本大会出場を決めてから、国際大会終了までの間で、一番大変だったことは何でしたか。それを乗り越えるためにどんなことをされましたか。
一番大変だったのは、部活動との兼ね合いでした。全日本大会出場時、私は2年生だったのですが、大会の2日間がちょうど部活動の新人戦県大会と被っていました。個人戦だけならまだしも、団体戦も控えていたために、部員や顧問の先生に打ち明けるのはかなり心苦しかったです。
その時は皆さんに応援してもらうことができ、全日本大会で賞をとることもできました。ただ、部員には説明する時間が当然多くあったので良かったのですが、他校の選手にはよくわからない何かの活動のために欠場しているということで話がこんがらがり、「国連に行った」だの、滅茶苦茶な誤解をされていました(笑)。
また、国際大会出場時にも、その直後に中国大会を控えているにもかかわらず、多くの準備時間を要したため、あまり部活動の練習時間もとれず、国際大会の準備はペアに負担を強いてしまうなど、双方に対してかなり申し訳ない状態に陥ってしまっていました。。。
皆の協力があってこその2大会だったため、友人たちには感謝してもしきれないです。
■最後に、あなたが模擬国連に参加したことで得たものの中で、一番よかったと思うことを教えてください。
人とのつながりを得られたことです。
国際大会において、準備は日本代表団が一番だという話は事前に聞いていたことでもあったので、会議行動が一番の課題であると自覚していました。特に帰国子女でもない私に、英語の面でのハンディキャップがあるのはまぎれのない事実であるため、会議中は他グループとの交渉時には理解されているか確認しながら話すなど、努力を行いました。
また、なるべく発言権を得られるよう、より多くの回数のプラカードを上げました。その甲斐もあってか、2日目に議場に着いた時には、チェアの人の方に自分たちがどこの大使かを告げる前に、「君たちの席はここだよ!」と言ってもらえたり、議場では「Japan!」などとずっと国名で呼び合っていたのに、2日目の途中では同じグループの大使に「あなたの本当の名前は何?」と聞いてもらえるたりする出来事がありました。頑張ってきたことが、ある形で帰ってきたのかなと、非常に嬉しかったです。
また、一緒に渡航に行けた同期の派遣生の人たち、また私よりも前に渡航された先輩たち、そして加わりつつある後輩たちと交流を持てました。こうした様々なつながりが得られたことが、最もよかったことだと考えています!