(2018年8月取材)
■部員数 理数科1年生31名・2年生36名・3年生34名 ※本研究は3年生9名
■答えてくれた人 田川彩乃さん(3年)
ハザードマップの浸水想定区域は現在の川筋とは全く違う
私たちの学校がある霧島市には、天降川という川が流れています。市内にある、江戸時代初期の天降川の様子が描かれている絵地図や、川筋直しの石碑などから、天降川の河道が現在と江戸時代では異なっていることがわかります。
川筋直しは、1661年に薩摩藩2代目藩主の島津光久が、天降川の氾濫に悩む領民の声を聞いて改修を命じたことにより始まり、1666年に完成しました。鹿児島県では火山噴出物からなるシラス台地が本土の52%を占めており、水はけが良すぎて米が育ちにくかったため、川筋直しは新田開発のためでもありました。
このような歴史を知って、旧天降川がどこを流れていたのかが気になり、研究を始めました。
その過程で、霧島市が発行している洪水ハザードマップを見つけました。このハザードマップを見てみると、現在流れている天降川と、浸水の想定されている地域が全く異なることがわかりました。このことから、旧天降川の流路を特定することで、さらに精度の高いハザードマップを作成できるのではないかと考えました。
そんな中、平成30年度7月の豪雨、通称西日本豪雨が発生し、広い範囲で浸水被害が発生しました。このような災害が霧島市で起きた場合に、いち早く浸水地域を特定することで、被害を最小限に抑えるべく、ハザードマップの高精度化を研究の目的に加えました。
古絵地図や過去の地形図から過去の川道を推定
予備調査では、旧天降川のだいたいの流路を特定するために、江戸時代の絵地図をいくつか参照しました。
これらの絵地図から、天降川と支流である手篭川の合流地点が国分平野の入り口にあることや、中洲があること、中州から河口にかけて川が蛇行していること、河口が東を向いていることの4点が共通して見られました。しかし、絵地図では縮尺や方向の信ぴょう性に欠けるため、詳しい河道は特定できませんでした。
そこで、天降川の旧河道は周囲よりも低い地形として残っているのではないか、という仮説を立て、調査を始めました。方法としては、まず国土地理院5mメッシュ標高データから土地の起伏を読み取りました。次に、過去の地形図から土地利用の変遷を探りました。最後に、現地調査による細かい起伏の確認を行いました。
国土地理院の標高データは、カシミール3Dというソフトウェアを用いて、目視で標高がわかるように色付けしました。その結果、旧天降川のだいたいの流路がわかりました。
しかし、天降川本流と手篭川の合流地点がわからなかったため、標高6.0m〜7.1m地点をさらに細かく色付けしました。そして、合流地点と思われる付近をアップすると、下図のようになりました。
さきほどよりも詳しく見ることができましたが、この方法だけでは、旧天降川と手篭川がどのように合流していたのかはっきりとわかりませんでした。また、この地点は市街地化が進んでおり、盛り土などの影響で、標高データだけでは旧河道が推定できませんでした。
そこで、過去と現在の地形図を比較してみました。
現在の地図の赤い丸で示した地点では、団地や工場がありますが、1968年発行の地形図では、ここが水田であったことがわかります。よって、ここを川が流れていたのではないかと考えました。
2つの川の郷両地点で現地調査
次に、現地調査を行いました。
現地調査では、標高データではわからなかった旧天降川と手篭川の合流地点付近に行き、地形の起伏を調査しました。調査したのは先ほど赤い丸で示した向花地区と野口地区です。
調査では、まずある地点からメジャーで10mを測り、0m地点と10m地点に「スタッフ」という、水準測量で用いられるものさしのような道具を設置します。次に、中間の5m地点に「レベル」という、スタッフと組み合わせて高低差を測定する器具を置きます。2地点のスタッフの値から、高低差を読み取ります。
向花地区では、合計12箇所を調査しました。
下図は、高低差を地図に記入したものです。高い方から低いほうへ向けて矢印が描かれており、高低差が30cm以上の場合は赤、そうでない場合は青としました。この結果から、おおよそオレンジ色の矢印で示した範囲で川が流れていたと推定できます。
次に野口地区では、合計26箇所を調査しました。調査の結果と、「国分川跡交差点」といった地名を参考にすると、川はおおよそこのような範囲を流れていたことがわかりました。
この結果から、市街地化された地区でも宅地の間の路地には起伏が残っており、旧地形がそのまま残されている可能性が考えられると言えます。
この結果から、市街地化された地区でも宅地の間の路地には起伏が残っており、旧地形がそのまま残されている可能性が考えられると言えます。
古地図+実際の高低差で川筋が明らかに
最後に、これらのまとめとして、地図上に線を引きました。おおよそ、この実線の内側を天降川が流れていたと考えられます。
また、この中で特に標高の低い地点をなぞっていくと、下図のようになります。
これを昔の絵地図と比較すると、川の合流地点が国分平野の入り口にあることや、中洲があること、河口付近で蛇行しており、河口が東を向いていることといった特徴が合致しています。
そして、私たちの考える旧河道を現在のハザードマップに当てはめると下図のようになります。この青い部分は、洪水時にいち早く避難すべき場所であると言えます。
また、旧天降川河道は上流から流れてきた砂が堆積しているため、地震の際に液状化現象が起こる危険性が高いとも考えられます。
今後は、より精度の高い測量を実施し、高精度化したハザードマップを自治体に提案しようと考えています。
■研究を始めた理由・経緯は?
国分の市街地にある天降川の石碑と現在の天降川の流路が異なっていることを不思議に思いました。また、最近では全国各地で大規模な水害が起こっていて、私たちが住んでいる場所でもいつ起こってもおかしくないと危機感を感じ、研究を進めていく間に見つけた、現在霧島市が発行している洪水ハザードマップでは、異常な大雨などの災害が起こった時に、どこが早く避難すべきかよくわからないので、少しでもいち早く避難すべき場所をより詳しく特定できたらと思い、この研究を始めました。
■今回の研究にかかった時間はどのくらい?
この研究は、3年生の9人のメンバーで行いました。高校1年生の後半からテーマの検討を始め,2年生から本格的な研究を始めました。2年生では、週に1時間「課題研究」という授業がありましたが、もちろんそれだけでは時間が足りず、放課後や土日を使って資料集めや現地調査を行いました。
■今回の研究で苦労したことは?
班のメンバーの多くが他の部活も掛け持ちしていたので、なかなか全員で集まって研究を進めることが難しく、予定より研究が進まなかった時期があったことがもっとも大変でした。
■「ココは工夫した!」「ココを見てほしい」という点は?
科学研究ではありますが,「天降川の川筋直し」という歴史的出来事を研究したところが独自性のある点だと思います。それまでは、郷土研究家の方が、地名や古地図から旧流路を推定した研究はありましたが,科学的な手法で旧流路を特定したのは初めてのことです。また,その成果をハザードマップの高精度化として社会に還元しようと試みた点も意義のあることだと思いっています。
■今回の研究にあたって、参考にした本や先行研究
・シンポジウム「天降川川筋直しと宮内原用水~水と戦い、克服した人々~」
(霧島市・霧島市教育委員会,2016)
・「 天降川の川筋直し:江戸初期の大工事」(天降川の川筋直し研究会,2001)
・「国土地理院1/25,000地図」(1968,2009)
・「国土地理院国土基盤情報数値標高モデル5mメッシュデータ」
■今回の研究は今後も続けていきますか?
これからは、より精密な水準測量をして、旧天降川によるわずかな低地帯を特定し、高精度化した洪水ハザードマップを自治体に提案したいと思います。
■ふだんの活動では何をしていますか?
近くの商業施設で一年に一度「サイエンスフェスタ」という実験教室を開催しています。サイエンス部の生徒たちで様々な実験を行い,地域の子どもたちに科学の楽しさを伝える活動を行っています。
■総文祭に参加して
全国のいろんな学校が私たちの知らない研究をしていて、それらを多く知ることができ、とても楽しかったです。また、県外のいろんな人と話すことができて、楽しかったです。