(2018年8月取材)
■部員数 21人(うち1年生3人・2年生10人・3年生8人)
■答えてくれた人 伊奈朋弥くん(2年)
起源と年代が不明な砂層を発見
私たちは、一昨年度までの研究で、静岡県内の太田川に沿う4枚の砂層が、歴史地震による津波堆積物であることを明らかにしました。そして昨年度、太田川河口から5km上流の西向遺跡において、新たな砂層を発見しました。私たちは、これを「イベント堆積物」だと考えました。イベント堆積物とは、津波、洪水、高潮などの特殊な自然現象によって生じた堆積物のことです。
しかし、この堆積物が、南海トラフに沿う津波によるものなのか、太田川の洪水によるものなのかは不明でした。そこで、このイベント堆積物の起源と年代の推定を行うべく、研究を開始しました。調査地点は、静岡県磐田市と袋井市の間を流れる太田川に位置する西向遺跡で、地図上に示された地点1~3で調査を行いました。
こちらは、西向遺跡におけるイベント堆積物の露頭の様子です。このように地層中に粗粒な砂層があり、これをイベント堆積物だと考えました。
遺跡の堆積物は津波によるものである可能性を検証
調査を行うにあたって、私たちは、「西向遺跡のイベント堆積物(以下、「イベント堆積物」)は、津波堆積物である」という仮説を立てました。その根拠には、次の2つがあります。
・根拠1 先行研究の津波堆積物と同じ粗粒な砂層であること。
・根拠2 先行研究の津波遡上範囲に近いこと。
検証方法は、次の通りです。これらの結果を総合して、「イベント堆積物」の起源を推定していきます。
(1)砂の採集、露頭の剥ぎ取り、柱状図の作成を行う。
(2)(露頭の剥ぎ取りなどを基に)堆積構造の観察を行う。
(3)(砂の採集などを基に)砂の粒度組成や鉱物組成を分析する。
柱状図を作成し、先行研究と比較
検証方法(1)について、具体的な方法を説明します。まず、5cm間隔で鉄パイプを打ちこみ、サンプルを採取します。次に、露頭に強力な接着剤を塗り、接着剤が乾燥した後に剥ぎ取ります。さらに、柱状図の作成を行います。
下図が結果です。3地点の砂層の厚さを、柱状図を用いて比較すると、東側の地点1では86cmと非常に厚いのに対し、地点3では58cm、地点2では10cmと、東から西へ向かって砂層が薄くなっていることがわかります。よって、砂層が形成されたときの水の流れは、東から西へ向かうものだったと考えられます。
この結果を、先行研究が行われている白鳳地震津波堆積物と比較しました。これは、白鳳地震津波堆積物の柱状図で、黄色で示された部分が津波堆積物です。この図から、津波堆積物は南から北へ向かって薄くなっていることがわかります。しかし、「イベント堆積物」では、東から西へ向かって薄くなっていました。そのため、この津波堆積物と「イベント堆積物」は、異なる特徴を持っていると言えます。
堆積構造の特徴から原因を探る
検証方法(2)の「露頭の観察」についてです。下図は「イベント堆積物」の露頭の様子ですが、このように「クロスラミナ(斜行葉理)」や「リプルマーク(漣痕)」といった、水の流れがあるところで見られる堆積構造が観察されました。
また、多数の木片が観察されたことから、激しい水の流れがあったことが推定されます。
一方、こちらは白鳳地震津波堆積物の露頭の様子です。このように、「マッドドレイプ」と呼ばれる、津波の押し波と引き波の間に水の流れが止まる時に堆積する泥が観察されます。しかし、「イベント堆積物」ではこの泥は見られませんでした。
また、この赤丸で囲ったような「リップアップクラスト」と呼ばれる、津波の激しい浸食によって下の層から上の層に巻き上げられた泥の塊も、イベント堆積物では見られませんでした。
以上の結果をまとめると、下図の表のようになります。この結果から、私たちは、「イベント堆積物」は洪水堆積物なのではないかと考えました。
洪水による堆積物である可能性を検証
そこで、私たちは、「『イベント堆積物』は、洪水堆積物である」という新たな仮説を立てました。その根拠には、次の3つがあります。
・砂層が河川側方側に向けて細粒化していること。
・リップアップクラストやマッドドレイプが見られないこと。
・地形分類図の特徴から、西向遺跡は洪水堆積物の溜まりやすい環境にあったと考えられること。
採取した砂粒をさらに詳しく調べる
この仮説を検証するために、粒度組成の分析を行いました。3gの試料を水の入ったエメリー管という器具に入れ、時間を追って堆積量を測定します。
結果です。3地点の粒度組成を比較すると、東側の地点1では平均粒径が0.27mmと粗いのに対し、中央の地点3では0.20mm、西側の地点2では平均粒径が0.17mmと細かく、東から西へ向けて堆積物が細粒化していることがわかりました。よって、「イベント堆積物」は、東から西へ向けて堆積したと考えられます。
続いて、鉱物組成の分析を行いました。200粒以上の鉱物を、複数人で双眼実体顕微鏡を用いて観察し、ある鉱物が全体に占める割合を百分率で求めました。
こうして調べた砂粒の特徴をまとめました。まずは、先行研究の津波堆積物との比較です。緑色で示した岩片について、津波堆積物では43.9%であるのに対し、「イベント堆積物」では80.8%と、非常に大きな割合を占めることがわかりました。
また、石英や長石については、「イベント堆積物」での割合は津波堆積物のものよりも小さいことがわかりました。さらに、津波堆積物に含まれていたガーネットが、「イベント堆積物」にはありませんでした。
一方、こちらは、昨年(2017年)の台風21号に伴う洪水による洪水堆積物との比較です。このように、岩片の割合が大きく、石英や長石の割合が小さいといった特徴が一致していることがわかりました。以上の結果を、先ほどの表に加えると、このようになります。
これらから、私たちの立てた「イベント堆積物は洪水堆積物である」という仮説が立証されました。
古文書の記述から堆積物の年代を紐解く
では、この「イベント堆積物」は、いつ堆積したものなのでしょうか。私たちは、いくつかの方法で年代推定を試みました。これは、西向遺跡発掘報告書に記載されている、地点2付近の柱状図です。黄色で示した砂層(「イベント堆積物」)の部分が対応しています。その下位にある層から、12世紀後半の土器が発見されています。また、西向遺跡の発掘調査員の方にお話を伺うと、砂層(「イベント堆積物」)からは江戸時代の陶磁器が発見されていたことがわかりました。このことから、私たちは、「イベント堆積物」は江戸時代に堆積したものだと考えました。
そこで、江戸時代に起こった洪水を、地域の市町村誌を用いて調べました。その結果、「イベント堆積物」に関係する洪水の候補として、この4つを挙げることができました。
この4つの洪水の発生場所を、地図上にプロットしたものが下図です。ここで、西向遺跡に最も近い稗原村での洪水について、磐田市誌を参照すると、「稗原村の堤防を破り、宿町は背丈まで満水、数日水が引かなかった」という記述がありました。私たちは、距離が近く被害も大きかった、この稗原の洪水が、「イベント堆積物」の原因となった洪水として最も有力だと考えました。
安政の大獄が始まった年の大洪水の痕跡
今回の研究成果として、西向遺跡の「イベント堆積物」は、津波堆積物ではなく1858年に稗原が浸水した太田川の洪水による堆積物である可能性が高いことがわかりました。今後の展望として、洪水堆積物と津波堆積物との判別の精度をさらに上げるとともに、洪水堆積物の分布範囲を、簡易ボーリング調査を利用するなどして、洪水被害の実態をさらに詳しく調べていきたいと思います。
■研究を始めた理由・経緯は?
地学部の地震気象班は太田川河口付近で研究・調査を行っており、今回新たな砂層をそこで発見しました。この砂層がどのように形成されたか不明であったために、調査を行いました。
■今回の研究にかかった時間はどのくらい?
1日あたり2時間で16か月研究を行ってきました。
■今回の研究で苦労したことは?
試料数が多かったので、特に粒度組成や鉱物組成などの分析が大変でした。また根拠を明確にするための調査を行い、試行錯誤を繰り返したのもたいへんでした。
■「ココは工夫した!」「ココを見てほしい」という点は?
津波堆積物と洪水堆積物そしてイベント堆積物の特徴をそれぞれ比較した表から、イベント堆積物が洪水堆積物であることをうまく裏付けていると思うので、そこを見てもらいたいです。
■今回の研究にあたって、参考にした本や先行研究
・「津波堆積物の科学」藤原治(東京大学出版会)
・「静岡県磐田市太田川河口で発見された砂礫層は津波堆積物か?」磐田南高等学校地学部地震気象班 (2012学生科学賞)
・埋蔵文化財調査報告書「西向遺跡」静岡県埋蔵文化財センター,2011
■今回の研究は今後も続けていきますか?
今回見つかった洪水堆積物と津波堆積物の判別の精度をよりよくし、この洪水がどのくらい広がったか、その分布を調べたいです。
■ふだんの活動では何をしていますか?
私たちは地学部の地震・気象班に所属しており、この研究のほかに気象観測を行っています。ほかにもスプライト、地質、天文と計4つの班がありそれぞれが常時観測、研究を行っています。
■総文祭に参加して
全国という大きな舞台で発表することができ、とても良い経験が出来ました。口頭発表では、これまでの研究の成果を十分に伝えられたと思います。また、他校の研究の成果をポスター、スライドなどで聞くことで、とても良い刺激になりました。
※磐田南高校の発表は、地学部門の奨励賞を受賞しました。