2018信州総文祭

みらいぶ大学生特派員 編集後記

(2018年8月取材)

高校生でも、研究はホンモノ!

物理担当 上田 朔くん(東京大学教養学部1年生[理科I類])

身の回りの自然現象に「不思議」を発見する。それを、ただ調べるのではなく、徹底的に調べる。現象の裏側にある仕組みを見抜く。さらには、まだ実験で確認されていない現象について理論的に予言できるようになる。あるいは、人のために役立つ応用方法を見出す。こうした営みは、主に大学や研究機関で行われるものです。しかし今回の総文祭では、上のような科学研究が高校生の手によって行われているという様子をじかに見ることができました。

 

現在、物理学の研究は分子や原子をはるかに超え、素粒子のレベルに及んでいます。このような時代において、ともすれば物理学とは、日常のスケールからかけはなれた世界のものだと思われがちです。しかし、科学者の最も基本的な態度は、ありふれた現象の中に「不思議」を見出すことです。高校生が発見したような素朴な「不思議」を追究した先に、最先端の物理学研究もあるということを私たちは忘れるべきでないでしょう。

 

しかし、ただ「不思議」を発見しただけでは、自然はその本性を見せてくれません。二重にも三重にも創意工夫を施した実験によって、はじめて現象の本質がうっすらと見えてくるということが多いのです。研究成果を聞いているだけではわからない、高校生の皆さんの長期間にわたる試行錯誤の積み重ねを思うと、発表者一人一人の肩をなでさすってあげたい気持ちです。

 

そして科学研究の醍醐味は、既に知られている科学的知見に対して自らの発見を位置づけ、科学というものを更新していくことです。彼ら高校生にとって、手持ちの知識は高校教科書の内容が主でしょう。しかし、教科書の物理学理論の体系の中で彼らの発見を解釈することで、物理の専門家である審査員の方々も唸るような科学的知見が生まれているというのは、実に驚嘆すべきことです。

 

高校生のうちから科学の世界に生身で体当たりしている皆さんは、研究者になれば人類の科学と技術を前進させてくれることでしょう。研究者にならなくても、社会によい刺激を与えてくれるに違いありません。今後の活躍に期待いたします。

 

彼らがいれば未来は明るい

化学部門担当 小池英理さん(京都大学農学部3回生)

今年初めて、化学部門の発表を取材しました。今回の取材まで総文祭について知らなかった私は、会場に入った瞬間、高校生たちの静かな熱気に圧倒されたのを覚えています。発表を前に、最後の打ち合わせをしたり、原稿を見返したりと、時間の過ごし方は各々でしたが、その姿から当日までにかけた時間や努力を感じ取りました。

 

背筋の伸びる気持ちで聞き始めた彼らの研究発表は、想像を上回るほど本格的なもので、気が付くとメモを取りながら前のめりに聞き入っていました。私自身も質問したくて堪らないほど、興味深い研究内容が多かったです。研究テーマには、地域の名産品に着目したものや、高校化学の教科書には必ず載っているような化学反応や実験について掘り下げたものなども多く、身近な疑問について自力で解明しようとする姿勢が見られ、科学の根本とは何たるかを見せつけられたような気がしました。

 

さらに実験も、大学のように潤沢な資金があるわけではない中で、創意工夫を凝らした方法を試したり、実験装置を自作したりしている学校が多かったのが印象的です。柔軟な発想と、何度でも試行錯誤を重ねる根気、その二つをどの学校の発表からも感じ取ることができました。だからといって、決して研究としての再現性を疎かにしていなかったのが、素晴らしい点です。条件や試薬、装置についての詳しい説明が、限られた時間の中で十分に述べられており、研究者の卵としての姿をそこに見たような気がしました。最初から結果を決め付けずに広い範囲から条件を絞り込んで原因を特定しようとしていた学校も見られたことにも、非常に刺激を受けました。

 

加えて、誰にでも伝わるようにと噛み砕いた説明、わかりやすいようにとアニメーションや動画を駆使したスライドなど、研究だけで終わることなくそれを他者へ伝える高校生たちの実力にも驚かされました。どんなに役立つ研究をしても、それが世間にわかってもらえなければ意味がありません。伝えようとする力を持つ彼らが、もし将来アカデミック界に身を置くとすれば、その未来は明るいに違いないでしょう。

 

今回の総文祭の取材を経て、私自身学ぶところも多かったように感じます。高校生たちには感謝の念を感じるとともに、今後も自身の興味関心を大切にし、情熱を持って歩みたい道を進んでいってほしいと願います。

 

コラボから生み出されるもののすばらしさ

生物部門担当 小坂真琴くん(東京大学医学部3年)

総合文化祭の取材のために茅野に行きました。昔、縄文時代には日本の人口の3分の1が暮らしていたと言われる土地です。今年も総合文化祭の科学部門では、それぞれの気持ちを込めた研究を発表する高校生の熱気にあふれていました。僕は今年で3回目の取材で、化学部門、ポスター部門に続き、今年は生物部門を取材しました。

 

当然ながら日本各地にはそれぞれ独自の生態系が存在します。生物部門の研究では必ず生物を対象とするので、やはり地域の特性を生かした発表が多いのが特徴です。漁業に携わる方々の経験則に基づく言い伝えが正しいか統計的に確かめたり、地元の昆虫ついて新種を発見したりするなど、それぞれの土地ならではのユニークな研究がありました。また、昆虫の生態について、数学の授業で習ったことをヒントに分析方法を編み出して解析した研究も印象的でした。

 

新たな発見はコラボから生まれます。自分が学校で学んだ科学の知識と自分の地元にある事柄、学校の他の授業と自分のクラブでの研究、そうした異分野の組み合わせから新たな知見を生み出す営みを高校から始めているのは素晴らしいと改めて感じました。研究を続けるならもちろん、それ以外でも持ち続けて欲しい姿勢です。

 

教室を離れ「ありのままの世界」に深い関心を向ける

北口智章くん(東京大学教養学部1年[文科I類])

私は、地学オリンピックという大会に何度か出場した経験があり、「教科」としての地学に親しむ高校生活を過ごしました。今回の総文祭は、そんな私に、「学問」としての地学の面白さ、奥深さを強く印象づける機会となりました。そこには、ほんの数百ページの教科書、あるいは学校の狭い教室に収まりきらない、本物の「地球・宇宙」が広がっていました。高校生たちの研究発表は、その「ありのままの世界」に誠実に向き合おうとする真摯さに満ちており、いずれも実に素晴らしい輝きを放っていました。それぞれの研究発表の後、登壇した高校生たちに送られた拍手は、単に儀礼的なものではなく、彼らの科学へのまっすぐな姿勢に対する賞賛の気持ちの表れであるように思われました。

 

高校生たちが語る「学問」としての地学は、私がよく知る「教科」としての地学とは似て非なるものでした。霧、スペースデブリ、流星、古生物化石、飛行機雲、地下水…。自らの研究対象を、フィールドに出て自然と触れ合いながら直に観察し、データを蓄積するという、ある意味泥臭い過程が、個々の研究に共通する要素として存在しました。そして、収集したデータを分析する過程についても、自然が必然的に内包する複雑性を顧慮する繊細な視点が、多くの研究発表に見受けられました。このような基本的な態度は、教科書に記された知識を基盤とし、例外性を捨象した原理・原則の理解を重んじる「教科」としての地学からは縁遠いものであり、私にはとても新鮮に感じられました。

 

教室から一歩踏み出して、「ありのままの世界」に深い関心を向ける「学問」体験は、高校生たちにとって一生ものの財産となるのだろう。そんな思いにふけり、羨ましさに近い感慨を覚えた2日間となりました。

 

好奇心の目を通して初めて見えてくる世界の輝き

ポスター発表担当 登阪亮哉くん(東京大学教育学部3年)

僕は昨年まで地学部門の発表を担当していたのですが、今年は初めてのポスター発表でした。ポスター発表はそれぞれ様々な方向性の研究内容が見られ、その多様性と深さに驚かされたのが印象的です。僕はいち見学者として皆さんの発表を聴きながら、何度か質問をさせていただきました。それについて自分の言葉でわかりやすく説明してくださり、好きなことについて話しているワクワク感も伝わってきたのが、とても嬉しかったです。

 

発表者の皆さんは、時にひとの手を借りながら、実験という手段を用いて自身で見つけた謎を1つずつ明らかにしていきます。その営みは、今後の科学の発展に寄与する第一歩であるとともに、人間の歩むべき道として、とても尊いなと感じました。好奇心を持って世界と接すると、あらゆる景色や路傍の石が意味を持って色鮮やかに見えてきます。僕自身も、一人の科学少年としてそうであったことを思い出しました。

 

身の回りでは絶えず物理現象や化学反応が起き、僕らは自転する地球の上で呼吸しています。僕は現在文系大学生ですが、自然科学と無縁であることはあり得ません。このレポートを読んでくださった方も、発表してくださった高校生のみなさんも、どうか自然科学という豊かな目を持って、これからも歩み続けていただければと思います。

 

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