香川県立丸亀高校演劇部「フートボールの時間」
第29回全国高等学校総合文化祭優秀校東京公演
(2018年8月取材)
今から7年前、香川県の丸亀市立資料館で1枚の写真が発見されました。袴姿の乙女たちが、サッカーボールを追いかけています。くすんだ画面からも、彼女たちのはじけるような笑顔がうかがえます。
大正時代に撮影されたとされるこの写真から、日本の女子サッカーの歴史はそれまでの記録からさらに40年以上もさかのぼることがわかり、丸亀は「日本女子サッカー発祥の地」と言われるようになりました。
彼女たちが通っていたのが丸亀高等女学校、現在の香川県立丸亀高校です。平成最後の総文祭演劇部門で最優秀賞に輝き、高校演劇の枠を超えて大きな感動をよんだ「フートボールの時間」は、この写真と、一緒に出て来た女学校の備品台帳の記録をもとに、丸亀高校演劇部の皆さんと顧問の豊嶋了子先生(豊嶋先生も丸亀高校のOGです)が作り上げた舞台です。
写真に写っているのは、良妻賢母を目指してお裁縫やお習字やお作法の稽古に励み、財力のあるハンサム・ボーイの殿方に嫁ぐのが女子の幸せとされていた時代の、大和撫子(なでしこ)予備軍の女学生たちです。演劇部の皆さんの大先輩にあたる彼女たちは、どんな思いでボールを追いかけていたのでしょうか。
[ストーリー]
時は大正9年(1920年)。丸亀高等女学校(現・丸亀高校)では明治時代からフートボール(サッカー)が取り入れられ、佐登子と智恵は毎日飽きもせずボールを追いかけた。そんな2人にあこがれたアサノが仲間になったのをきっかけに、もっと有志を増やしてゲームをやろうと乙女たちは奮闘する。「女性が足を広げてボールを蹴る」、そんなことが当たり前ではなかった時代を生きた乙女たちの、楽しくも少し切ない物語です。[国立劇場公演プログラムより]
「フートボール、やろうよ!」
幕が上がって舞台を駆け回るのはカラフルな着物と袴、大きなリボンの“ハイカラ”な女学生たち。一人の女学生がボールを拾い上げます。「これは、フート、ボール。…ええっ、こ、これを足で蹴るのですか!? 本当に足で? そんな行儀の悪いこと、して良いのですか!?」。
一つのボールに新しい時代を感じた彼女の名は井上通子(みちこ)。その後女学校の物理の先生となり、生徒たちにフートボールの楽しさを教えます。
「女が足を広げてボールを蹴るなんて、はしたない!」と言われようが、髪が乱れようが、大根足になろうが、きゅうくつなお裁縫の授業のあとで思い切りボールを蹴ると、とてつもなく爽快です。新しくて、ちょっと行儀が悪いのも嬉しい! 上級生のお姉さまたちのいきいきとした姿にあこがれた1年生のアサノは、井上先生に励まされてフートボールの仲間集めに奔走します。クラスで一番のお嬢さまをカルピスで籠絡(ろうらく)したり、うるさい先生に口答えしたり。明るく元気で自由な大正時代の女学生たちが、そのまま舞台に立っているような錯覚にとらわれます。
この着物は、部員の皆さんが実際に布地を裁つところから作ったもので、大きく動いても着崩れしないように、着付けも練習したのだそうです。リアルな存在感はそんなところからも生まれていたのでしょう。
一方で、アサノたちの天敵?がお裁縫の宇田先生。「彼女」(=実は男子の部員が演じています!)が登場すると、空気は一変します。竹の物差しを携えて、良妻賢母の心得をうだうだと説き、「フートボールとやら」を目の敵にする宇田先生に、1年生はひとたまりもありません。
しかし、4年生の智恵や佐登子は、「あの先生は、成績の良い子にはうるさく言わんから」ということでお勉強も頑張って、うだうだを撃退します。大和撫子だって、負けてはいないのです。
そして「全員が試験で全甲を取る」というハードルを乗り越えた彼女たちは、夏休みにフートボールの合宿を勝ち取りました。一日中好きなだけボールを蹴って、夜は夢を語り合って、楽しいフートボールの時間はいつまでも続くように思われました…。
突然奪われたフートボールの時間
ところが秋になり、楽しかった日常は一変します。智恵は突然学校を去り、体操の授業にフートボールを取り入れた校長先生は退職。父母たちの間には「井上先生は子どもを利用して政治活動に関わっている」というウワサが広がり、ボールはすべて廃棄されました。
日本史の授業では、「1920年、市川房江と平塚らいてうが新婦人協会を発足させた」と女性の地位向上の元年のように言われますが、実際の世間の反発は想像を超えたものだったのでしょう。
必死でボールを探す佐登子。「ない、…ない!」という涙声に、希望を打ち砕くような硬い足音が重なります。佐登子がしがみついて泣く女学校のセットは、まるで牢獄のように見えます。演劇部の皆さんの渾身の力作です。
再び登場した井上先生は、すがる佐登子に「そんな時間があれば、女としての自分を磨きなさい」としか言ってくれません。カルピスでアサノたちの仲間になった富貴子も、「こんなことなら、庭球(テニス)にしておけば良かったわ」と去っていきます。「私たち、何もせんでええみたい。何もせん方がええみたいやなあ。…楽やな、女って」という佐登子の言葉が突き刺さります。
彼女たちはフートボールが大好きだった、ただそれだけでした。そこに立ちはだかってフートボールを取り上げ、友達を引き離し、絶望させたのは、貧困とか、権力や地位と結びついたわかりやすい「悪」とかではなく、宇田先生の「男性には男性の、女性には女性の本分というものがありますっ。女性はしとやかな大和撫子として男性を支えて生きていく!」という言葉に代表される、当時の世の中の考え方そのものでした。宇田先生のお説教も、悪意があったわけでは(おそらく)ないからこそ、強烈なキャラクターが生きていたのでしょう。
結婚のために智恵を卒業前に退学させた婚約者は言いました。「神様は不公平だ。学問を修める必要のない女性のあなたに、そんな才覚を与えるなんて」。言った本人にすれば、誉め言葉のつもりだったのかもしれませんが、智恵は呆然とします。相手の気持ちに気づかない限り、悪気のない(だからこそやっかいな)差別は時代に関係なく生まれることを感じました。
ボールがすべて廃棄された1か月半後、あの写真が撮影された
絶望する佐登子とアサノの前に、用務員さんがドロドロになったボールを持って現れます。夏の合宿で失くしたボール。廃棄されずに残った、たった一つのボールでした。佐登子はこのボールを持って、退学覚悟で新しい校長先生を説得し、運動会の種目に有志によるフートボールが取り入れられました。備品台帳上ですべてのボールが廃棄された、1か月半後のことでした。
それがあの写真だったのです。
卒業式の日。佐登子の前に智恵があらわれます。「なんで何も言わずに学校辞めたんよ。お嫁に行ったら、うちら友達でなくなるん?ボールを追いかけたあの時間も嘘になるん? 」となじる佐登子。それでも最後にようやく「…ご結婚、おめでとうございます」と言うことができました。泣きながらも「佐登子、笑って」と返す智恵。演じた二人が「彼女たちの気持ちが理解できなくて、一番苦労した」と言われた場面ですが、泣きながら、それでも一生懸命前を向こうとする気持ちが伝わってきました。
智恵が去ったあと、佐登子がアサノに語ります。合宿の夜、智恵が「100年後、フートボールはなくなっとると思う」と言ったこと。あれは、後ろ向きな言葉ではなくて、100年後に人類がボールを蹴る時は、男とか女とかいう垣根がなくなっていて、女も強く生きていいと言いたかったのではないか、と。「そう言うてほしかったなあ」…。突然奪われたフートボールの時間へのせつない気持ちが、胸を打ちます。
エンディングでは、佐登子とアサノ以外の全員が現在の丸亀高校の制服姿で登場します。大正・昭和・平成のそれぞれの時代を象徴するキーワードが次々と流れ、丸高演劇部のお家芸のキレのいいダンスが舞台いっぱいに繰り広げられる中に、スーツ姿の井上先生が立ちます。
佐登子が問いかけます。
「先生! 100年後はどうなっているのですか」。
井上先生は、何と答えたでしょうか。100年の時を超えて、私たちならどう答えられるでしょうか。ダンスはやがて力強い足踏みとなり、幕が下りてもなお続きます。
「なでしこ」の意味は変わったけれど…
あの写真が見つかった2011年、女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」は、ワールドカップで初優勝しました。体格もスピートもまるで違う外国のチームを相手に果敢に戦って勝ち進む姿は、その4か月前の東日本大震災で沈んでいた日本を勇気づける、まさに希望の光となりました。
今や「なでしこ」は、しなやかにボールを蹴る強い乙女たちの代名詞となり、女子サッカーはオリンピックでメダルを期待される種目です。
「流行り廃りがない(by宇田先生)」はずだった着物は絶滅寸前?ですが、お裁縫も、料理も掃除も洗濯も機械がやってくれて、結婚した女性も外で働けるようになりました。
100年後、私たちは彼女たちが夢見た時代を生きているのでしょうか。
信州総文祭が開催されていたのとちょうど同じ時期、ある医科大学の入学試験で、長年女子の受験生の得点を一律に減点して、女子の合格者を減らしていたことが明るみに出て、大きな問題になりました。「〇〇ハラ(スメント)」という言葉をネットやマスコミで見かけない日はありません。自由に生きられるように見える今も、見えない差別の壁はそこここに潜んでいます。
理不尽やきゅうくつさに泣きながら、それでも前を向こうとした大正のなでしこたち。彼女たちの100年の時を超えたエールを、そして今を生きる私たちが気づかなければならないことを届けてくれた舞台でした。
「フートボールの時間」は、Eテレの「青春舞台2018」でノーカット放映されました。再放送やアーカイブで、ぜひご覧ください。
「差別とは何か」「なぜ女の子は生きにくかったのか」を問い続けた舞台
丸亀高校演劇部の作品を名物は「ミーティング」。今回の作品を演じるにあたって、部員の皆さんは「差別とは何か」について何度も議論を重ねたそうです。どんな思いで舞台に立ったのか、部員の皆さんに聞きました。
部長/「智恵」役 長井ゆいさん(3年)
皆さんの演技がとても自然で、本当に100年前の女学生たちがタイムスリップして舞台に立っているようでした。 配役はどのように決めたのでしょうか。
部内でオーディションをして決めました。役者はすべての役のオーディションを受け、その総合力をみて、裏方と先生が役を決定するという形です。
とても完成度の高いストーリーでしたが、今回の内容はいつ頃確定したのでしょうか。また、大きく変わった部分はありますか。
本番直前まで改訂は続けていました。特にエンディングは通し稽古を行うたびに台本直しをして、お客さんへの伝わり方を工夫していたので、初期から大きく変わったと思います。
今回の作品を演じるにあたって、稽古やふだんの生活で特に、練習をしたことや意識したことがあれば教えてください。
着物や袴の着付けの練習をしました。60分間の演技で着崩れしないよう、立ち上がり方なども意識しました。
稽古を重ねる中で、一番大変だったのはどんなことでしたか。
大正時代の「当たり前」を理解することです。私は「智恵」の役を演じていたのですが、お嫁に行く子の心情がなかなか理解できず苦しかったです。
丸亀高校演劇部の名物は「ミーティング」とうかがっています。この作品のミーティングで、一番議論したのはどんなことですか。
「差別」についてです。この劇で取り扱う大きな問題を、演じる自分たちがまず理解をしないといけないと思い、「なぜ差別はいけないのか」「そもそも差別とは何なのか」など様々なテーマでミーティングをしました。
「アサノ」役 大西晴華さん(3年)
「アサノ」の役作りで一番苦労したのはどんなところですか。また、それをどのように乗り越えたか教えてください。
自分よりも5才くらい年下の役でしたので、無邪気さや純粋さを出すのに苦労しました。自分は普段あそこまで無邪気じゃないので、精神年齢を低くするのが難しかったです。
自分との共通点を探して、アサノを演じるというよりは自分はアサノであるという気持ちで演じるとやりやすくなりました。
印象に残るセリフがたくさんありましたが、大西さん自身が一番好きなセリフは何ですか。
富貴子がフートボールから離れる時に、「また一緒にカルピス飲もうよ」と必死で引き止めるシーンです。このセリフを言うアサノの様子を客観的に想像すると、かわいそうすぎて涙が出ます。富貴子は仲が良かったから悲しいのは当たり前だけど、この時代にはこんなことも少なくなかったのかと思うと、必要なシーンだと思います。
「佐登子」役 森根暖さん(3年)
「佐登子」はどんな人だったと思いましたか。演じる上で工夫したことを教えてください。
私にとって、佐登子は、自分の意思をしっかりと持った力強い子だったけれど、心は誰よりも弱い子のように思いました。
演じる上で、やはり感情がどうしてもわからないところがあった時は、その人を自分の身近な人に例えたり、いろいろな方々から聞いた差別に関するお話やフートボールをしている女学生の写真などを見たりして、大正時代の女学生の思いについて考えてみました。
森根さん自身が一番好きな(思い入れのある)シーンを教えてください。
一番好きなシーンは全部ですが、思い入れのあるシーンは、ラストで佐登子が智恵に「ご結婚おめでとうございます」と言う一連のシーンです。演出もセリフも本番ギリギリまで変わり続けて、一番感情がよくわからず大変だったからです。実際、自分が佐登子みたいな状況に立たされたことがないので、表面的に感情がわかっていても、その感情をなかなか自分のものにすることができませんでした。わからなさすぎて、「何でこんなこと言ってんだろう」と他人事みたいに我に返ってしまって、このシーンの練習をしたくない時もありました。でも、いろいろな方の話やアドバイスをもらって、練習するごとに「差別なんか関係なしに、佐登子はただ智恵やアサノたちとフートボールをして、笑っていたかっただけだったのかも」とか、いろんな感情が巡って、今では特にこのシーンがお気に入りです!
「井上先生」役 宮武咲弥さん(3年)
「井上先生」の役作りで一番工夫したのはどんなところですか。
先生に見えるよう、常に背すじを伸ばし、姿勢を良くすることです。
父母からのクレームを浴びて、井上先生はすっかり変わってしまったように見えました。この時、井上先生はどんな気持ちだったと思いますか。
確かに井上先生は、佐登子に今までだったら絶対に言わないことを言いますが、それはその言葉を言うしかない状況に追い込まれたからです。なので、井上通子としての正義や心情は変わっていません。井上は、学校側から「教師を続けたいならフートボールをやめろ」と言われたはずです。でも当時、あの女学校以外で女性がフートボールをする場面はなかったと思うし、なにより佐登子たちを置いて教師を辞めることはありません。すがる佐登子を離して去る場面は、本当に苦しいです。でもフートボールが出来なくても、教師として、これからも自分の思いを生徒に伝えていくと思います。
国立劇場の舞台に立って、一番強く印象に残ったことを教えてください。
客席との距離が近いと感じたことです。最前列はもちろんですが、二階席のお客さんもよく見えました。客席の反応が舞台にとてもよく伝わってきました。
「宇田先生」役 合田壮真くん(2年)
笑いを取りながら、実は憎まれ役という難しい役どころを、役に見事にはまって演じていたと思います。役作りで工夫したことがあれば、教えてください。
年齢も性別も生きた時代も、自分とは全く違っているので、まず立ったときの姿勢や歩き方など、根本的なところから見直しました。
憎まれ役でありながら、実際は当時の人々の考えを代弁しているのだということは、常に頭に置いて演じていました。
国立劇場の舞台に立った感想を教えてください。
見たこともないような舞台設備がたくさんあって、とても興味深かったです。スタッフの方々もプロばかりで、格好良いなと思いました。漠然とした言い方になるけれど、あの舞台はすごくキラキラしていて、上演中の60分間は本当に夢のようでした。お客さんもたくさん反応してくれて、楽しんで演じることができました。
演出 古家諒也くん(2年)
舞台美術ではどんなことを工夫されましたか。
大正の時代感を匂わせられるように、全体の色合いなどを工夫しました。特に看板は苦労して、味を出すべく汚しました。また、校舎を格子状にすることで、女学生たちを窮屈に閉じこめる「檻」としても重要な役割を果たしています。
100年前と現代が違和感なくつながり、重なっていました。演出上で工夫したことを教えてください。
劇中に「100年後」という言葉が何度か出てきますが、それを違和感なく、でもお客さんに印象づけることができるようにするにはどうすればよいか、ということを意識しました。また、時代が流れ、現代につながるラストシーンでは、100年前を生きた先輩方に思いをはせた私たちが、現代を生きる人たちに何を伝えたいか、そしてそれをどう伝えるかということを意識しました。現代を見た井上先生が「変わったかしら」と問いかけることで、今も変わらない差別というものを訴え、それに対する怒り、そして自分たちが変えていくという決意を、足を踏み鳴らす演出で表現しました。
国立劇場の舞台の、「場」としての印象を教えてください。
初めて訪れた瞬間から、圧倒されるような雰囲気を感じました。劇場自体の貫禄もそうですし、そこで仕事をされているプロの方々の仕事には、興味をひかれるものがあり、本当にすごいと思うばかりでした。
このような舞台で、「フートボールの時間」を上演させていただけたことは、本当に貴重な経験になりましたし、ものすごく光栄に思っています。