高校模擬国連国際大会、NYの国連本部で開催! 今年も日本チームの健闘が光る!!

桐蔭学園中等教育学校(神奈川)

永見大智くん(3年)、渡邊玲央くん(3年)

安全保障理事会(SC: Security Council) 

Election Monitoring   (選挙監視) 』

(2018年5月取材)

左から 渡邊玲央くん、永見大智くん 写真提供:桐蔭学園中等教育学校(以下同)
左から 渡邊玲央くん、永見大智くん 写真提供:桐蔭学園中等教育学校(以下同)

安全保障理事会の役割や特殊性と向き合い、難しい課題に挑む!

永見大智くん(3年)

■世界大会に向けてどのような準備をしましたか。

 

まず初めに、会議が行われる安全保障理事会の役割を考え直しました。その過程で、国連で唯一の法的拘束力を持ち、現実的な問題解決への道のりを示す場でもあることを再確認しました。また常任理事国の持つ拒否権とどのように向き合うかを考えました。

 

それらに加え、世界大会では全てが英語で行われるため、日本語での会議パフォーマンスを英語で損なわないように、言語の壁を出来る限り乗り越えられるように努めました。

 

また参加する大使は、様々な国からやってきます。価値観はそれぞれ異なるので、なぜその政策が必要かを客観的に説明する準備をしました。

 

■準備の段階で苦労したことがあれば教えてください。

 

まず当たったのは言語の壁でした。リスニング力や単語力の向上、英語で思考する練習、拙くてもしっかりと伝わる話し方を身に付けられるように努めました。

 

また今回の議題であった「選挙監視」は、これまで安全保障理事会で話し合いが活発に行われてきた議題ではなかったので、どのような切り口から政策を作っていくかを考えるのは非常に難しいと感じました。包括的な切り口としては「どのような主体が選挙監視をするか」が、具体的な焦点を絞ればゲリマンダー(※)や選挙暴力、サイバーセキュリティーなどの「一つひとつの問題にどう対処するか」が考えられ、最終的にどちらを重視するかに大変悩みました。

加えて、他の議場が190か国を超えるかなり多くの国が出席する中で、今回参加した安全保障理事会は11か国(本来は15か国)と特殊な議場で、これまでの派遣団の先輩方からアドバイスが頂きにくかったのも、政策を決める上で苦労しました。

 

 ※Gerrymander:選挙において特定の政党や候補者に有利なように選挙区を区割りすること。

 

 

■各国の高校生と出会って、日本の高校生はこんなところがスゴイ!と思ったことを教えてください。

 

ネガティブに影響もしますが、日本人らしい「真面目さ」は日本人の武器だと感じました。

時に各国の高校生以上に、グループの輪に入っていくことに壁を作ってしまうこともありますが、たとえ難しい議論や答えの見えにくい話し合いでも常に頭を働かせ、問題点はないか、また改善できるところはないかと考え続ける姿勢こそが徐々に他の高校生を惹きつけ、グループの信頼されるリーダーとしてくれるのではないかと思います。

 

■会議を進める上で一番大変だったことは何ですか。

 

一番今回の会議で苦しかったのは、周りの大使のレベルの高さでした。言語の壁を常に感じましたが、特に感じたのはリスニングや言い回しに対する難しさではなく、さらっと会話で挟まれたたった一つの比喩や、言い合いになったときのネイティブらしい角が立ちにくい上手い言い方をされたときでした。

 

模擬国連は、言葉を武器にする競技ですので、微妙な言葉の違いがその後の展開を大きく変えていくことが多くあり、その点で勝負ができないことで日本語での会議の力を十分に発揮できなかったのはとても悔しかったです。

 

また今回の議場は11か国と少なく、議論のスピードはとても速く進みました。言っていることがわかったとしても、自分たちが会話をハイスピードで進めているわけではなく、ハイスピードの議論に遅れないようにただ付いていっているだけになってしまったことが一番の壁でした。

 

会議中に何度も手はないかと考えましたが、ぶつかった壁が言語の自力の差であったため、修正したし、改善することができない問題で、最後まで自分のやりたいことができなかった最大の原因でした。

 

■大会を通して、あなたが一番頑張ったことを教えてください。 

 

初対面の人に消極的にならないのみならず、国籍の違う高校生に積極的に話しかけていきました。またできる限り楽しく長くコミュニケーションが続けられるようにしっかりと話を聞き、自分の意見を伝えるようにしました。

 

自分の将来のためにも、この機会を活かし、様々な価値観やものの考え方に触れられるように意見交換を積極的にするように努めました。

 

■今回の大会も含めた旅行全体で、最も印象に残ったことは何ですか。

[渡航経験は今回が3-4回目]

 

幼稚園児の頃や小学校の頃に、数度ハワイに旅行で行きました。また高校1年生の時に学校のプログラムで、10日間ほどカナダに語学研修に行きました。アメリカ本土への渡航は、今回が初めてでした。ニューヨークは国連がすぐ近くにあるという都市ではありますが、いろいろ々なところに国旗が掲揚されており、本当に多くの民族が共に暮らす姿が見られ、まさに世界の中心なのだと感じました。

『心の耳』で相手と話すことで築いた信頼が、会議を成功へ!

渡邊玲央くん(3年)

■世界大会に向けてどのような準備をしましたか。

 

基本的には日本の模擬国連会議に臨む時と同様、多角的に自国・議題に関する情報を集め、それらをつなげあわせて政策立案をしました。今回私たちが参加した議場は「選挙監視」が議題に据えられており、選挙の在り方や支援方法に関して持続可能な提言を行うことが求められました。

 

ウルグアイ大使としては最終的に、リサーチの段階から「国によって程度の差がある民主主義の重要性の確認」、「地域機構と協力した上でのボトムアップ的支援」や「誰ひとり政治参加の枠組みから取り残さない状況の達成」などといった基本理念のもとに政策(理念を達成するために世界各国が取るべきプロセス)を立てるに至りました。理念を中心に考えていたのは、安全保障理事会の決議が国連で唯一「法的拘束力」を持ち、大国一致の原則の下に「拒否権」を保持する国があるためです。世界の平和と安全を維持・保障していくために集められた15国の中でゆるぎないコンセンサスを形成し、選挙監視の文脈における「将来のあるべき姿」を明示することを考えて準備に臨んでいました。

 

 

■準備の段階で苦労したことがあれば教えてください。

 

私は会議準備をする際、「時間は有限、情報は無限」という言葉を自分自身に言い聞かせています。特に今回の会議に関しては、議題の抽象度が高かったため、多岐に渡る分野をリサーチしなければならず、どこかでリサーチをやめるという「諦める勇気」が必要でした。調べた内容について、「よし、完璧にわかったぞ!」という感覚になることはほとんどないだけに、「正解のない引き際」を探ることにはいつも以上に苦労しました。

 

また、会議が英語で行われることから、わかりやすい言葉で適切に自国の政策を伝える方法を模索することにも苦労しました。会議が日本語で行われる場合には、言葉の面で綿密な準備をしなくとも、議場で表現の修正やニュアンスの変更を行うことはできます。しかし、今回の会議の場合はあらかじめ事細かに言葉を設定しておかないと、母語でないがゆえに足元をすくわれると考えていました。常に異なる国の大使の立場に身を置き、明白かつ合理的な表現を複数パターン用意しておくことは、今回の会議準備特有の苦労だったのかと思います。

 

 

■各国の高校生と出会って、日本の高校生はこんなところがスゴイ!と思ったことを教えてください。

 

渡米前には自覚していなかったことですが、会議1日目終了後に議長から「気配りができて、謙虚に話し合いに臨めているのはいいことですね」という言葉を掛けられました。その時、自分自身が「日本人らしさ」をもって会議に臨めていたのだとはたと気づきました。日本人は、確かに内気な面があり、自己主張を行う場面では欧米人に負けてしまいがちです(事実、私たちも今回の会議でそのような場面はありました)。しかし、「相手の主張に自分の主張を乗せて発信する力」はどこの国の人にも劣らないと感じました。このような「他者への配慮」や「調整力」は、日本人として誇りに持つべきことなのではないでしょうか。

 

 

■会議を進める上で一番大変だったことは何ですか。

 

真っ先に浮かぶのは「言葉の壁」です。母語でない英語を用いて難しい議題について話し合うことは、大変な作業でした。私たちは事前に決議草案や自国の理念・政策を端的にまとめた『3ステップ』を用意して議場に入りましたが、これはあらゆる情報を「可視化」するために行おうとしていたことです。結果的に、議場の構成・流れの関係もあり、全ての情報を「可視化」させることはできませんでしたが、会議に臨むにあたっての大きな支えになっていたことは間違いありません。「話す・聞く」という作業を「読む・書く」という動作に落とし込むことは一見すると逃げのように捉えられますが、考える時間が確保できるという点では有効だったのではないかと思います。

 

■大会を通して、あなたが一番頑張ったことを教えてください。

 

比喩的な表現になりますが「“心の耳”で相手と話すこと」です。会議に臨むにあたって、自国の政策を通したりリーダーとしてグループをまとめたりするのは、もちろん楽しいことです。しかし、会議は多くの同年代の「大使」が集まるからこそ成り立つものであるため、その「大使」に対して全幅の信頼と傾聴の姿勢を示さなければ、会議自体を成功に導くことはできないと考えています。私は相手の主張を親身になって聞き、その真意を理解することに努め、文化や習慣が違う仲間とともに最後まで議論し尽くすことができました。その過程で、聴くことに徹して自国の主張を上手く説明できないといった場面もありましたが、心と心を通わせる中で相手と信頼関係を醸成できたことは、何にもかえがたい良い経験になりました。

 

■今回の大会も含めた旅行全体で、最も印象に残ったことは何ですか。

[渡航経験は今回が10数回目]

 

日本人の母とフランス人の父の間に生まれた私は、生活基盤こそ日本にあったものの、幼いころからフランスに滞在する機会がありました。小学校入学後は毎年夏にフランスに滞在し、祖父母や親戚と過ごしました。現在に至るまでフランス語を話すことができるのは、最低限1年に1回はフランス語に囲まれて過ごす機会があったからだと思います。

 

また、高校1年次には「カナダ語学研修」と校内選抜の「アメリカ短期留学プログラム」に参加させていただきました。帰国生でない私が、今回の会議で臆せずに英語で発言し続けることができたのは、こうしたプログラムに参加する中で「生の英語」に触れてきたからだと感じました。

 

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