高校模擬国連国際大会、NYの国連本部で開催! 今年も日本チームの健闘が光る!!
ラテンアメリカ・カリブ経済委員会
(ECLAC: Economic Commission for Latin America and the Caribbean)
『Strengthering Social Protection for the Most Vulnerable
(社会的弱者への社会保障の普及と向上)』
(2018年5月取材)
■世界大会に向けてどのような準備をしましたか。
私は社会的弱者への社会保障の普及と向上について、ウルグアイ大使としてラテンアメリカ経済委員会(ECLAC)という国連の中の地域委員会に参加しました。ラテンアメリカに根強く残る貧困層の「非社会保障状態」、それによって解決の糸口が見えないジェンダーの不平等性、さらにこの悪循環の追い風のような移民問題など切っても切れないこれらの問題に対し、国益を踏まえつつラテンアメリカとしてどんな共通見解を出し、いかに包括的で現実的な解決策を見出していくのかに注力しました。
私たちは、「何が問題の根本原因にあるのか」をもっとも意識し、会議の中で政府と各組織機関との連携、社会保障の財源となる税収を確保するために、ラテンアメリカに根強く残っている慣習化された脱税の阻止と、そのための教育の進め方を含めた包括的な方針をいかに建てられるのか考え、ラテンアメリカの歴史から政治まで遡って細かく問題分析をしました。
世界大会全体の準備としては、様々な価値観が存在し、会議の捉え方も大使によって大きく変わってくると思ったので、予想される各国の立場はあらかじめ可能な限りリストアップし、当日の予想させるグルーピングを書き出し、自分たちの会議行動をきめ細かく設定しました。一概にその通りに行動したわけではありませんが、ある程度の安心感と自信を持って会議に望むことができたのは、精神的に大きな支えとなりました。
■準備の段階で苦労したことがあれば教えてください。
ウルグアイを始めとした多くのラテンアメリカの国々は、公用語がスペイン語など英語でないことが多かったので、資料を集めることが難しかったです。また、社会保障の普及という議題は、安保理での核兵器に関する議題などとは大きく違って、どの社会でも社会保障の重要性が認識されているので、争点があまり出てこないことが予想できました。そのため、準備の段階で、各国の政策が「いかに貧困層や社会的弱者へのアクセスを拡大できるか」を中心に数多く出されるだろうと、ある程度推測することはできました。ですから、あらかじめ各国の政策を具体的に把握し、この先の社会で何が必要になってくるのかを念頭に、予想される政策の取捨選択をすることが非常に難しかったです。
■各国の高校生と出会って、日本の高校生はこんなところがスゴイ!と思ったことを教えてください。
世界大会に参加する各国の高校生は、流暢な英語で自国の政策を魅力的に紹介し、速いスピードで会議を回して行くことに長けていましたが、どのように政策を実現して行くのか、例えば財源はどこからくるのか、各システムをどのように導入するのか、など具体的に議論を落とし込むことには苦戦していました。一方で、日本の高校模擬国連では、どの会議でも現実性を問われ、いかに提案した政策が普遍的に活用できるものであるか、いかに問題解決につながる包括的かつ現実的な要素を含んでいるかを非常に重視されます。日本の高校生が、国際問題の解決のために不可欠な慎重なプロセスをきめ細かく設定できることは、大いに誇れるところであると思います。
■会議を進める上で一番大変だったことは何ですか。
委員会に出席した国数が予想に反し、先進国を中心とした地域外加盟国が多かったことにより、ラテンアメリカの地域益の重要性を訴えることがとても大変でした。様々な意見が混在する中で、ラテンアメリカの社会保障の普及にはまず何が必要なのかを見極め、さらにそれを全体に共有することがとても難しかったです。そこで私たちは南米地域を先導していき、もう一つ形成された先進国を中心とするグループと交渉するという理想形を、ペア間でしっかり念頭においたことが役立ったと思います。各国が用意してきた政策の共有で議場が混沌としていた場面でも、常にまず何を焦点におくかなど根本的な問題に立ち返って冷静になることに努めました。また、公式発言で、限られた時間内にいかに進行中の話を簡潔にまとめ、かつ効果的に議場に訴えかける力が問われたとき、ラテンアメリカの地域益を常に意識しながら臨機応変に、注意深くかつ迅速な対応ができるように心掛けました。
■大会を通して、あなたが一番頑張ったことを教えてください。
今大会で、私とペアは、グループとグループ間の意見交換や妥協点の擦り合わせなど担う外交と、私たちが率いたグループをまとめる内政というはっきりした役割分担を行いました。地道に積み上げる外交と、ボトムとトップを定める内政を繰り返すことで、異なるグループ間の落とし所や妥協点を見つけることを得意とするペアではありますが、国際大会では上手に連携することができました。とても嬉しかったとともに、今までの努力を発揮できてとても良かったです。
また、私は外交を担当していたので、グループ間の相違を臨機応変に見つけていくだけでなく、大きなグループになったときに、自国の国益をうまく主張できていなかった大使一人ひとりに丁寧に交渉していくことで、包括的な解決策を見出していくことを心掛け、個人単位での信頼関係を築くことを特に意識しました。その甲斐あって、たくさんの大使の意見を決議案に反映させることがきたので、とてもよかったです。
■今回の大会も含めた旅行全体で、最も印象に残ったことは何ですか。
(※海外在住経験あり 5年間)
今派遣で最も印象に残ったのは、私にとっての「模擬国連」の意義が、国際大会に臨んだことでより明確になったことです。模擬国連はもちろん国際情勢や、各国のスタンスの違いなどを学ぶことができて、問題の真髄を追求することができる素晴らしい活動です。しかしそれ以前に、自分という人はどのような人なのか、どのような場面で積極的に行動し、どのような場面で尻込みしてしまうのかなど実際に人に囲まれてみないとわからない映し出された自分の姿を直視する活動でもあると感じます。世界大会で、いつも以上の緊張と常に隣り合わせの状況での自分を知ることは、自分の得意不得意を明確にし、見直そう、向上しようという意欲を辛い中でも常に掻き立てられました。辛いことも多いですが、その分客観的に見ることができているのかもしれないと考えます。
私にとっての「模擬国連」は、自分をも物事をも俯瞰的に捉える重要性を痛感させてくれる、そう言った意義を含有している活動であり、自分の弱さも強さも同時に味わえたことがとても印象的でした。そして何より、類似した辛さやもどかしさを味わっている分、苦労していることを汲み取ってくれ寄り添える、ペアをはじめとした日本派遣団の仲間との出会いがかけがえのないものとなりました。
実のところ、会議が終わって数日たった頃も、会議に出たときの緊張感などを思い出して数多の感情からなる涙を流すことが多々ありました。優秀賞という有難い受賞に対する達成感とともに、もう一歩だったのではないかと、どこか心残りのある会議であったことに対する悔しさを同時に抱きました。この入り混じった感情は、世界という不慣れで刺激的な環境で、日本派遣団が学校関係なくお互いを支え合い、精一杯の力を発揮したからこそ味わえたものであり、大変貴重な経験をしたのだと痛感します。
■世界大会に向けてどのような準備をしましたか。
最も重視したことは、議題の本質を突き詰めて考えることでした。「社会保障」にはあらゆる制度が存在し、貧困層、女性、子供、難民と対象が広く、打つべき手があまりにも多くある中、ラテンアメリカの現状を調べ続けました。途上国において、限られた資金と能力の元でいかに優先順位をつけ、効率的な政策を立てるべきか。これが今会議での核心となると考えました。現在、あらゆる社会保障制度が存在しているにも関わらず、一つひとつが噛み合っていなかったり、本当に必要とする層の人々に行き渡っていなかったりという、社会保障の政策そのもの以上に、それらのガバナンスに問題があると捉えました。このように真の問題解決に繋がる為には何が必要かを、常に現状と照らし合わせながら分析し、政策立案をしました。
政策が出来上がってからは、他の大使にいかにわかりやすく伝えるかを考えました。詳しい政策を簡略化し、印象に残りやすい説明を準備し、目に付きやすいポスターに可視化しました。これは会議本番の混沌とした議場の中で非常に役に立ちました。
■準備の段階で苦労したことがあれば教えてください。
「社会保障」という広範な議題で、各国が重視する分野が異なると予想される中、議論をどのように進めるかに苦労しました。多くの難民を抱える国であれば、難民キャンプでの支援体制や難民の社会統合のしくみを議論したい一方、自然災害が頻繁に起こる地域であれば、緊急事にも対応できる即効性のある政策を重視すると考えられたからです。
そのような中、先進的な社会保障制度を持つウルグアイとして、一見交差しないように思える各国の主張に共通点を見出し、議論を円滑に進めたいと思いました。難民援助であっても、防災であっても、問題の核心にあるのは国や自治体のガバナンス能力、諸対策の整合性や対象層へのアクセスにあると考えました。いくら優れた制度であっても、本当に支援が必要な層に行き渡らなかったり、そもそも政府が制度を十分管理できていなかったりすると意味がありません。よって、どの国にも共通するガバナンスの問題に焦点を当てようと決めました。
もう一つ意識したのは、多分野における繋がりです。社会保障というのは、究極的には社会の安定と国民の幸福をもたらすことが理想で、多分野への多角的なアプローチが必要です。どの国にも様々な弱者が存在し、一人ひとりが人生の過程で様々なリスクに直面します。これを遺漏なく支援するためには、社会保障は包括的でなくてはいけません。つまり、各国が異なる分野を深め、政策を持ち寄ることは、かえって社会保障を理想に近付けるためには不可欠なことだと気付きました。他の大使にもそれを説明することで、各国の協力を呼びかけることにしました。
■各国の高校生と出会って、日本の高校生はこんなところがスゴイ!と思ったことを教えてください。
模擬国連に対する真っ直ぐな姿勢だと思います。国際大会には、世界中から志の高い、刺激的な生徒がたくさん集まっていましたが、大使として、国を一心に背負う姿勢は日本人が一番印象的だったと思います。最も準備を積んできただけでなく、議題に徹底的に向き合い、それぞれが強い思いを持って会議に臨んでいて、そのような派遣団の仲間たちと共に会議に向かえたのは本当に幸せなことでした。
私の議場では、優秀な大使だけが議論を進め、全参加国を取り込めていない傾向がありました。そこで、それに気付いた私ともう一人のアメリカ大使は、積極的に発言していない大使の意見も聞いてみようと呼びかけました。その際私は、国連という場で一国一国を尊重することの大切さを根拠に呼びかけましたが、アメリカの大使は、単に「みんなが議論に加われるために」と言っていたため、あまり響きませんでした。模擬国連では、国益を守ることが最優先事項であるように、一国を背負う責任を持って会議に参加することに醍醐味があります。そのことを世界大会でも訴えることができ、それを学ばせてくれた、日本の高校模擬国連のレベルの高さを改めて感じました。
■会議を進める上で一番大変だったことは何ですか。
想定とは異なる議場設定と議事進行の中、自分が思い描いてきた会議を実現することです。私が参加する議場には、ラテンアメリカ諸国を中心に45か国いるはずでしたが、実際主席したのは12か国で、ラテンアメリカ以外の先進国ばかりでした。そんな中で、少数派のラテンアメリカの国として活躍する必要がありました。
しかし、成果文書作成の段階で、作成の主導権を先進国に握られてしまいました。地域の現状を地道に分析し、実行プロセスまで綿密に検討していた私たちの政策は多少は含まれていたものの、メインの主張は先進国の国益に直結するような政策ばかりとなっていました。議題の「社会保障」とは、その国が主体となって行う必要があり、ラテンアメリカという地域の発展を目指したものであるにもかかわらず、当事国としての貢献が十分にできなかった自分を情けなく思いました。
しかし、そこで諦めず、DR作成に手をつけられなくても何とか全ての国を巻き込んだ会議を作りたいと思い、取り残されていた国に個別のアプローチをかけました。また、議長の協力を得てより多くの大使の主張にも耳を傾けるよう呼びかけることに成功しました。その結果、提出されたDRは私たちにとって最善な形ではありませんでしたが、多くの国からの信頼を得ることができ、自分が今まで信じてきたやり方、すなわちどんな小国も尊重し、丁寧に合意形成を図る模擬国連を、最後まで貫くことができ、安心しました。
■大会を通して、あなたが一番頑張ったことを教えてください。
自分が追求してきた模擬国連を貫くことです。国際大会は、日本の模擬国連と色々な点で異なるということは聞いていて、ある程度の覚悟はできていましたが、本番では想定していなかったような会議の進行や、他の大使の振る舞いに戸惑いました。まるでディベート大会のように、凄まじい勢いの英語で話され、自分以上に国際関係・国際問題の知識に富んだ現地の高校生たちや、彼らの議論のテンポの速さに飲み込まれそうになりました。
しかし、議論が膨らむ一方でまとまりがつきにくいことに気付き、日本から持参したホワイトボードに各国の意見を可視化できたことが、数少ない地域の国としての存在感を発揮することにつながりました。先進国のリーダーがかなり強引で、積極的に発言できずにいた他の大使のことをあまり尊重せず進めていた一方、私とペアは一国一国を尊重し、丁寧な合意形成を図ることができました。
■今回の大会も含めた旅行全体で、最も印象に残ったことは何ですか。
(※海外在住経験あり 3年間)
ニューヨークの国連本部を訪問し、国連の壮大さを実感しました。本部が位置する周りにも、国連の補助機関や、各国の政府代表部の立派な建物がそびえていて、世界の国連が本拠地としている場所を今自分が歩いていると思うと胸が踊りました。また、数々の表敬訪問を通しお目にかかることができた国連職員や大使の方の、国連への熱い思いに心打たれました。