自分らしく生きて、社会を変える
大学で学んで、初めて気がついたこと
開沼:1年間の浪人生活を経て大学に合格したわけですが、で入学してから、まずどうしたんですか。浪人している時って、大学に対する期待もふくらみますよね。
徳田:まずは遊ぼうと思いました。あとは、国連への第一歩だということで、国際関係をかじってみようと思ってゼミに入ったんですが、そこで打ち砕かれました。雑誌の『The Economist』の記事を毎週読んできて、みんなで討論するというゼミだったんですが、そこで私が感じたのは、国連はなんと無力なんだろうということでした。
例をあげるなら、言っていることと、やっていることの根拠があいまいなんです。いったいどこに、立ち位置を定めているのかなと思っていました。それで、やっぱり世界を動かしているのはビジネスであり、アメリカであるということに行き着いたんです。高校生の時は、日本の中で偉いって言ったら、政府であり首相だろうと、それ以上にすごいといったら世界組織で国連だろうと思っていました。でも、実際はそうでもなかった。
開沼:高校までの教科書は秩序だっているけど、実社会はそれほど秩序だっているわけではない。その時々で秩序は変わるし、一見普遍的に見える組織の位置づけや理念も揺らぐわけですよね。他に大学でこういうこと学んだというものはありますか?
徳田:私にはあまり向いていなかったですけれども、やはり法律ですね。緻密に考えて、ロジックを組み立てるという訓練になったし、法律そのものが無味乾燥なものではなくて、実際に起きたことを元に判決が下された判例が重なって、それが新たな解釈を生んでいくというのがとても魅力的でした。感情的なものを分析して、法律はもともとは血の通ったものなんだと理解できたのがおもしろかったです。
開沼:とは言え、「ラジオ局の経営」という現在の仕事では必ずしもその時学んだ法律を駆使して何かをするというわけでもないわけですよね。それでも法律を学んだことが重要だったのだとすれば、それは今どのように生きていますか?
高校生にしてみれば「法学部行きたい」っていう人は多いかもしれないけど、別に法律にすごい興味がある人が多いわけではないと思うんですよ。弁護士になりたいとか、公務員を目指すなら法学部かな、とか。じゃあ、「法学部」は重要だけど、「法律を学ぶこと」には誰も興味ないんじゃないのかっていう話になってしまうようにも思うんだけど、法律を学んだことで自分の何が一番変わりましたか?
徳田:思考方法ですね。判例って細分化すると、自分の生活費が欲しいとか、仕事で自分の業績を上げたいとか、個人的な感情に行き着くんです。法律も、こうすることが正しいとかではなくて、変動するものだと思います。ある意味、学生時代は、自分では完璧だと思っていた緒方さんとか、国連とか、あるいは法律のようなものが絶対ではないと気づいてしまいました。世の中には絶対的な正義はないということに気づいたことで、どうやって絶対ではない現状を打破して改善するかと考えるようになり、今にも生きています。
ベストセラーの執筆と世界一周旅行、そしてトップ企業への就職
開沼:「法律」が、ただ条文を覚えたり、裁判で使う道具だったりというものではないんだというわかりやすい例ですね。そして、大学で勉強しつつ本を刊行したわけですが、その後会社に入る前の話、つまり、本を出してから世界一周旅行をするまでの話を聞きたいと思います。前にも触れましたが、本を書いたのは、どんなきっかけだったかもう少し詳しく教えてもらえますか。
徳田:当時登録していた家庭教師派遣会社の縁で、「ちょっと変わった新しい本を出すのに誰かいい人はいないか」「東大生に書かせたらおもしろいんじゃないか」という企画があって、学生が呼び集められて。その中でエージェントが選んだのが私と開沼君だったんですよね。
開沼:それが大学2年のはじめ、2004年のことですよね。執筆はどうだったんですか?
徳田:この本はイラストを多くして、勉強が苦手な小中高生がどうやったらおもしろく読んで楽しく勉強できるか、というコンセプトで作りました。
当時は国連への失望感からビジネスに携わってみたくなり、教育塾のベンチャー企業の立ち上げに関わっていたので、そこでの指導経験も生かして書いているつもりだったのですが、勉強法を言語化するということは何と難しいことだろうと思いました。ですが、結局ハウツー本なので、それぞれ自分に合うところだけやってもらえればいいかなと割り切りました。実際に出版してみたらけっこうヒットして、取材を多く受けました。芸能人が暗記をやってみるという番組に出たり、教育関係や、初心者向けの株の話なんかの連載もしましたね。
開沼:僕も徳田さんほどではないけど、ラジオで話したり雑誌の取材を受けたり、はたちそこらでそういう経験をしておけたことが、今になって何倍にもなって返ってきている、いい経験だったと思います。しかし、14万部も売れる本なんてすごく稀なわけで、その時注目されたことは、今振り返ってどう思っています?
徳田:うーん、注目してもらえたのは運がよかったかな。でも、一方ですごい劣等感もありました。周りはみんな東大生なので、何千人といる中で、たまたま当たっただけで特別観ってないのですが、世間から見るとそうじゃないということを思い知りました。「くだらないね」とか、「本当にこんな勉強法やったの?ウソでしょ?」みたいなことも言われて、その時はショックを受けました。振り返ってみればいい経験だったけど、もうハウツー本は書きたくないな。いつか機会があったら、小説とか学術書とか、読んで本当に心打たれるようなものを、書きたいなと思います。
開沼:なるほど。ただ、本を出した後で、世界一周旅行に出たわけですね。それはいつごろでした?
徳田:2007年の7月です。2007年の4月から6月まで5年生をやって卒業して、その翌月から8カ月ちょっと行っていました。
開沼:本の刊行が2006年だから、その翌年ということですね。2003年に大学に入学しているから、もう卒業する学年にはなっていたんですね。旅行に行く前に、就職は決まっていたんですか?
徳田:はい。4年生の2月には決まっていました。最初は弁護士になるためにロースクールに行こうと思っていたんですが、周りに引きずられていると感じて、辞めることにしました。それで4年生の1月に就活を始めて、幸いに2月に外資系の金融会社に受かりました。
開沼:当時は「外資系の金融会社で働くこと」に、どういうイメージを持っていたんですか。
徳田:当時はリーマンショックの前でしたし、外資系の金融とかコンサルとかがカッコよく見えました。それは多分に給料が高いということがありましたし、実力主義で入れ替えが激しいから力試ししたい、と。あとは、ゼミで気がついた、世界を動かしているのは国連ではなく「アメリカ」で「ビジネス」であるという現実にぴったりだということでした。
開沼:実際に入社して現在は違う仕事についているわけですが、今はどうですか。
徳田:私が入社した2008年の秋、リーマンショックの後からガラッと変わりました。特に外資系は、景気が悪くなったら解雇につながりやすい。それに、金銭欲が強過ぎて経済を混乱させた業界と言われて非難を浴びて、世間の見る目も変わりましたね。
開沼:なるほど、で、就職する前に旅行に行ったんですよね。もともと旅行は行きたかったんですか?
徳田:行きたかったですね。動機は、国連をはじめとして海外に興味があって、世界を見てみたかったというのが一つ。それに、冒険に挑戦してみたくて、世界一周という響きがカッコよかった。それから、内定先の先輩に「入社したら忙しいし、男は肩書で判断するから、ホントにモテないわよ。今することは、旦那候補を見つけてゲットすることよ!」と言われて。私、背が高くて、合コンで男性陣より高い時もあったので、これは日本にはマーケットはないな、と(笑)。それが動機で、海外に行こうかなと思ったんです。それと、やっぱり人と違うことがしたいというのがあったんだと思います。
開沼:しかし、「人と違うことがしたい」というだけなんだとすれば、別のことでもいいわけですよね。にもかかわらず世界一周っていうところに行ったのは何でですか。逆に言えば、「世界一周行きました」っていうのは学生にとっては「みんなやってみたいと思っているけどできない」分かりやすい達成目標なのかもしれません。「お、世界一周したの?すげー」ってなる。実際にやってみた結果どうでしたか。
徳田:恐らく、自分を自分で特別視したかったんだと思います。自分の中で自分を確固たる存在にしたいというのはありました。まあ学生だからできたんでしょうけど、世の中を斜めに見ているというか…。当時は「私ってスゴいでしょ」的なオーラを振り撒いていたと思います。でも、それをしたからといって、自分で自分を認めることにはつながらない。世間にスゴイ、とは言われるけど、結局、第三者から認めてもらうことでしか、自分を認められなかった。だから、すごく人の目を気にしていたと思います。だから、おもしろいことをしてやろうとは思うけど、達成したらまた次何か目立つことをしよう、何かやらなきゃ、となっていたんだと思います。そして、旅行から帰って、バタバタしながら入社の準備をして、あとは怒涛のように過ぎていきました。
第2回 徳田和嘉子さん
人生のピークは60歳でいい。大事なのは、「次にどうしていこうか」ということ
(1) バスケ命!の高校時代、1枚の応募はがきが人生を変えた