(2013年12月16日)
細野氏:少し嫌なたとえですが、あなたの親が失業してしまったとか特別な事情で、去年は910万円以上あった収入が今年からなくなったという悩みを抱えているとします。それを先生に相談できる?
男子高校生Aくん:絶対にできないです。
細野氏:そこまで先生って信頼できない?
男子高校生Aくん:そこまで、かなりちゃんと通じた先生というのはなかなか…。
細野氏:なかなか相談できないとなると、これは結構深刻なんですよね。より深刻な人は相談しにくいと。より深刻な人は経済的にも深刻になっている可能性があるわけだから、本当は学費の免除を受ける権利があるんだけど、(先生に言えなければ)払わなければならない、という話になるんだよね。
男子高校生Aくん:910万円以下は無償という話ですね。
細野氏:そう。さらには突然250万円以下になってしまったりすると上乗せをもらえるはずだから、もらう権利があるのだけど、先生にそれを相談できなければ…。
女子高校生Bさん:教育に対する意識が高い子は、ちゃんと主張できると思う。この制度で助けるべき子供というのは、あまり教育とかどうでもいいと思っている子じゃないと思う。
女子高校生Cさん:…ちょっと厳しい意見で、変な意見かもしれないですが、何か主張できないのにもらえるというのはやはり…働かない人、みたいな人がどんどん増えてしまうのではないかと思って…。
細野氏:そういう意見は結構ありますね。やはり学習する自覚を持って、ちゃんと申請できる人だけが、そういう負担をしてもらえるべきだという意見はある。
男子高校生Aさん:学ぶ意欲があれば申請をすると。
女子高校生Bさん:そういう子だけが申請を受けるべき。
女子高校生Dさん:でも、後から気づくということはない?ずっと数学の授業で寝ていたんだけど、寝なきゃよかったって思うことない?
細野氏:いや、まだ遅くないよ
女子高校生Bさん:いや、もうちょっと遅い。
女子高校生Dさん:後から気づくってあるよね、本当にね。
細野氏:自分で申請しなかったから悪いとか、高校をドロップアウトしたから悪いとか、言うのは簡単だけど、結局最後は社会に返ってくるのね。彼らがちゃんと仕事をして納税してくれて、立派に生活してくれればいいけれど、そうじゃなくてその先なかなか自立できなくて、例えば生活保護になるとか。
男子高校生Aさん:なかなか申請しないような人のことを、将来、彼らのために私たちが負担することになることを防ぐために、今のうちにやっておこうよと。
女子高校生Cさん:何かそういう人たちに、自分でちゃんと節制して勉強しなきゃいけないという意識を持たせてやらないと。ただ、与えているだけだったら、何も気づかずに、どっちにしろダメになってしまうんじゃないかなあという心配もある。
細野氏:なるほどね。わずかに申請という書類を一枚書くくらいはすることによって、学ぶ機会が得られるという自覚を持つかもしれない。
女子高校生Bさん:いやあ、厳しいなあ。
細野氏:ただ、子供だけでは、親の所得証明とかってなかなかできないでしょ。親のずさんさとか、親の環境によって子供がチャンスを失うということに結局なってしまうので、そこが私としては気になる。
男子高校生Aさん:補助することは、彼らのためでもあるし、こっちのためでもある。将来彼らの生活を負担するのはこっちになるとしたら、彼らのためでもあるし、社会のためでもある。
女子高校生Bさん:そういう意識を私たちとしては持っていたい。
女子高校生Dさん:だから、私たちでもそんなに意識はないと思うし、私も今まで考えたことがなかったけど、やっぱりみんなにこうした意識を伝えなきゃいけないなと。
女子高校生Bさん:一番いいのは、もっと先生がやっていくべきというか授業としてこういうのを出していくといいのでは。
男子高校生Aさん:授業?
女子高校生Dさん:難しいよね。でも、授業となると難しいよね。
女子高校生Bさん:じゃあ、何をすべきか。
男子高校生Aさん:申請をするべきだよと言ってあげることが必要だということ。
<時間にて終了>
●高校生チーム
高校生チームで話したのは、申請のことです。勉強意欲の低い人ほどあまり申請をしないのではないか、申請のことを知らないのではないかと思って、申請のあることを知ってもらう意味でも、授業とか、何らかのことをしなければいけないというところまで話が進みました。でも、本当に必要な人のためでもあるし、社会のためでもあるから、あまり勉強とかしない教育の意識が低い人に、将来、ちゃんと納税者になってもらうためにも、申請をさせるにはどうしたらいいのか、という議論の結論がまとまりませんでした。
●教育学部の大学生チーム
大きく2点を話し合いました。1点目は、無償化になって生徒が教育を受ける授業料が減って、教育を受けられる環境が整うのに、先生が(申請業務への対応で)忙しくなって授業のクオリティが下がるのであれば本末転倒だということ。
2つ目として、自分たちは教育学部なので、将来自分たちが先生になったら、どのようにそれに貢献できるかということを話し合いました。それでこの班で大きくまとまったのは、有償・無償の話から学ぶきっかけにしてしまおう、ということです。所得が低いから親が社会貢献度の低い仕事をしているというわけではなく、親がどういう仕事をしていて、どういうふうに社会に貢献しているのか、そういうことを深く考える、そのアプローチを先生という立場からできたらいい。そして、それを通して高校生自身が自分にできることは何だろうと、自分はどういうふうに勉強をしていったらいいだろうかと考えられたらいいし、私たちが先生としてそれをサポートできたらすごくいいね、とまとまりました。
●カタリバキャストチーム1
※キャストとは、高校生と話をする主に大学生のボランティアスタッフ
私たちはカタリバキャストとして何ができるのだろうかということを話し合いました。私たちが高校生と話す際に、キャスト自身は、高校教育とは何なんだろうとか、それに対してお金はどうなんだろうかとか、そういうことをちゃんと考えたり、関心を持っておいたりしなければならない。そして、高校無償化の議論をきっかけに、高校とはどういうところなのかということをもう一回考える機会にできればいいのではないか、ということを話し合いました。
●カタリバキャストチーム2
我々はキャリア教育をやっている団体なので、高校生が卒業後の進路をちゃんと考えていたりとか、幸せに生きていたりしたらいいよね、ということをみんな共通で思っています。その際、例えば、高校も大学もみんなが行かなきゃいけないから行くとか、行かないといい就職ができないから仕方なく行かされているというのは、もったいないなと思うのです。それに、大学進学率も高校進学率も今よりずっと低くてもいいし、なにより中卒でも幸せに働ける社会の方が健全だと思うし、社会人になってからでもすぐに学び直せる社会の方が健全だと思います。そのような話をしました。
●大人チーム1
確かにお金が一つのきっかけやチャンスになると思いますし、低所得の人にお金を配布するということにはほぼ賛成なのですが、ただ、中には学ぶ意欲すらないというお子さんや、家庭環境がむちゃくちゃで親がまともに子供の面倒を見ないという状況にある子もいて、それでお金さえ払えばその子たちは本当に学べるのか、といったら、全然違うと思うのですね。お金だけでは解決されない、その部分にこそ目を向けていかないと本当の解決には至らない。そういったことを話しました。
●大人チーム2
何人かから、義務教育化を考える方が、問題がいろいろとクリアになるのではないかという意見がありました。一方で、高校が義務教育になるとすると、学校が社会の中でどんどんと肥大化していく、そのことに違和感もあって、もっといろんなケース、学ぶ場所があってもいいんじゃないか、という意見も出ました。
他は、学ぶ意欲がそもそも出ない子にも無償で高校に行かせるということに果たしてどれくらい意味があるのだろう、という話が出て、それについては、ここでキーワードの一つとして出たのは、学校というのはセーフティネットでもあるということです。学校でしかキャッチできないストレスのようなものもあるし、高校によっては中退者も多かったりするので、高校在学中にいろんな支援の機関を知っておくこともすごく重要なことだろうという話もありました。
さらに、有償化されたお金を、例えば、学校が嫌でも家で勉強できる、とか、セーフティネットの役目としてとか、そういうところでも使われればいいな、という意見も出ました。
寺脇氏:今日はすごくいい論点が出ました。
あるチームから出てきた議論は、重要な話で、無償にすればいいのかということ。今日の論点ではないけれど、大学の無償化。今日本で大学が無償になったら大学進学率は100%になるのではないかと恐れているわけです。ヨーロッパでは大学が無償なのに18歳で大学に行く人は20%くらいしかいないのですね。でも、今のに日本なら、就職のために、全然勉強しなくてもタダで行けるのであればとりあえず行って大卒資格を取っておく、あるいは企業側も中卒は採らないけど大卒なら雇うというので、今の日本の社会ならば100%行くと思います。でも、それではやはりおかしい。これは、大きな問題点の一つです。
別のチームから出ていた、高校も大学も義務教育にしてしまったらどうなるか、という議論。おいおい、その社会ってどういう社会?例えば、農業が大好きで農業をやろうと思っている人も高校や大学に行かないとダメなのか。だから単純に高校を義務化すればいいということでもないということが分かると思います。
もう1点が、無償化しない人達22%の分で浮いたお金は他所では使わないのですよね、という質問もありました。例えば公共事業に使ってしまったりはしないで、必ず、この高校の授業料制度の中で使うのです。そこはちゃんと自民党も約束しています。
ただ、そのことをあんまりはっきりと言いすぎると、社会全体のお金が無償化に使われているのではなくて、910万円以上の人たちのお金が無償化や上乗せに使われているんだというふうに見えてしまうと、まずいのではないかという考えもある。“うちのおやじの金でおまえは高校に行っているんだろ”というようなことはさすがに小学生じゃないから言わないだろうけど。
だから、当事者である高校生たちが、“高校の中で申請してと言われても、大人はすぐに申請すると思うかもしれないけど、そんなの嫌だよね”と言う声がネットや新聞の投書欄などにダーッと載ったりすると、この制度を作った人は結構堪えると思いますよ。
他には、奨学金とはどこが違うの、という話が出ていました。奨学金というのは勉強したいから出してくださいと言うものだけど、無償化は、それを言わなくても自動的に来る制度。“私が勉強したいから出してください”ではなくて、“うちが貧しいから出してください”というのはちょっと違うのではないかな。
だから、もっといろんなやり方はあると思いますよ。すべて人に奨学金を申請できる権利を与えておいて、その代わり、“ごめんね、君の所は収入が多いみたいだからこの奨学金をもらわなくてもいいんじゃないの”みたいなやり方だと、自分が行きたいから奨学金を申請するという覚悟はできるかもしれないとか。そういう議論をきちんと国会でしてもらわなければいけないのだけど、もっとみんながいろんなところで発言すると、国会議員の発言よりも発言力が大きくなるかもしれないですね。
学部長(石黒和己 カタリバスタッフ、教育学部に所属する大学2年生):そもそも高校無償化は社会的な無償化というもので、学習する権利として存在していたのが、所得制限がかかったことによって、福祉的なものに変わったという、大きな意味の転換であるということに、私も含めて、多分たくさんの人が気づかなかったのだと、今日の議論を経て思いました。その意味でも今日議論できてよかったと思っています。そんなところで、今日の「高校無償化を考える」を終了したいと思います。
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カタリバ大学 第57講 教育学部シリーズ 第三弾
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