スピーチコンクール特賞で世界の大都市ニューヨークへ
~国連本部での研修レポート
上田 明(めい)さん 岡山白陵高等学校(当時)※現在は津田塾大学2年
(2015年7月掲載)
vol.2 イラクで命を落とした2人の日本人の記憶を風化させない
ユネスコで世界遺産登録の効果を知る
3月25日は朝からニューヨークの日本政府代表部を訪問。ユネスコ職員の方からは、ユネスコの世界遺産登録により、単に遺産を保護してゆく責任を負うだけでなく、アルゼンチンなど観光業が盛んになり発展していった後進国を例に挙げ、 そういった国々への経済効果をもたらすということを教えていただきました。
それにしても高校生たちのユネスコ職員の方の英語を理解しようと熱心に聞く姿は流石でしたね。もっとも、ばっちり翻訳さんが付いてくれていたので中学生も(実は高校生も?)安心だったのですが。
私が今回国際機関を回ってきて深く実感したことは、「英語は意思疎通のツールでしかない」ということです。この考え方自体は新しいものではありませんが、これを人に言われるのと肌で感じるのとは全く別物だというのを感じました。皆さんにも是非、私と同じような体験を、またそのような経験に繋がる挑戦をして欲しいと思います。そしていつか、自分の人生はあの時をきっかけとして、より豊かで良いものになったと思えるような、そんな体験を10代というかけがえのないときにこそ積んで欲しいと心から思います。
「奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団」の意味
私たちの訪問団は、「奥・井ノ上記念日本青少年国連訪問団」といいます。2003年11月29日、イラクの復興支援のために尽力していた日本人外交官、奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官と、在イラク日本国大使館勤務のイラク人運転手の3名が、何者かの襲撃により殉職するという無念極まりない事件がありました。そのお二人の日本人の名前が訪問団につけられているのです。
日本政府代表部訪問で、日本政府代表部の吉川大使が2時間にも及ぶブリーフィングと昼食会の中でお話されたのは、奥大使と井ノ上書記官についての、「イラクでの記憶」でした。情熱的にイラク支援に取り組まれていたお二人の様子が私の目にも浮かぶほどでした。お二人を知る大使や邦人職員の方々がお話の中で懐かしそうに、そして同時にとても残念そうな表情を浮かべる姿をみて、私は胸が締め付けられる思いでした。ここにきた意味を改めて考えさせられました。
私たちの使命は彼らの記憶を風化させぬよう受け継ぐことなんだと、深く深く胸に刻みました。
〈参考〉
イラクだより(奥大使遺稿「イラク便り」に寄せての川口外務大臣メッセージ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/iraq/
奥大使・井ノ上一等書記官が遺したもの(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/03_hakusho/ODA2003/html/column/cl01007.htm
今の日本の高校生達にもこういった過去を知ってほしいと思います。もっともっと学生が国際問題に目をむけるようになったらきっと日本は変わるはず!
深い専門性が求められるユニセフの仕事
その後、ユニセフでは、坂本職員より今の世界の貧困や飢餓の状況についてお話をしていただきました。
ユニセフは現在の子供の兵士数が20万人〜50万人であることも受け止め、単なる援助をするだけでなく、開発と緊急援助と子供の権利という3つのバランスを非常に重要視した上で活動を行っているということ。ユニセフの職員の約8割が現地勤務。職員として働くためには体力や語学力はもちろんのこと、開発技術分野・社会経済政策・政策支援分野・組織マネジメント(財務・人事・経理・広報等)などにおける専門性や、緊急援助活動の経験なども求められるそうです。
ユニセフの支援活動は、緊急支援物資を届けるだけの仕事だと思われがちですが、実は地域との連携や、時にはその国の政治や経済などにも介入しながら幅広く活動しているという点が特に印象に残りました。