今をとことんLive
古市 憲寿 (東京大学大学院総合文化研究科院生、有限会社ゼント執行役)
いつか思い出すかも知れない幸せだった記憶
1996年、今から15年以上前に発売されたRPGだ。当時は、プレイステーションが出て数年しか経っていない頃で、世にはポリゴンを無駄に使った立体的なゲームが溢れていた。そんな中、この「ポポロクロイス物語」は全編がドット絵とアニメーションで制作され、そこそこ話題になった。
物語は、王道のRPG。10歳のピエトロ王子が、「知恵の王冠」を魔王から奪い返すため、そして母親を救うため、仲間たちと冒険に出るというストーリーだ。なんて、公式サイトを見ながら書いてみたけど、細かいことはちっとも覚えていない。
小学校の頃、たぶん50時間近くはプレイしたはずだ。一日2時間として、約一ヶ月。それだけの時間を、このゲームに費やしたのに、その内容はほとんど思い出せない。
それはこの「ポポロクロイス物語」に限らない。たぶん僕は小学校の高学年から中学校の間に100本近いゲームを手にしたはずだ。飽きもせずに数十時間もプレイしたタイトルも多いのに、ほとんどのゲームのことを覚えていない。思い出せるのは、せいぜいタイトルと、おぼろげなイメージくらい。
あの、膨大な、数十時間、数百時間は、無駄だったんだろうか。
それは、わからない。人生において、どの時期に、どんな作品に触れたかで、確かにその人は何らかの影響を受けるだろう。でも、それがどんな影響を与えたのかなんてことは、検証のしようがない。
ゲーム雑誌『週刊ファミ通』(2012年9月6日号)に掲載されていた漫画「四姉妹(しとらす)エンカウント」に、次のような台詞が出てきた。
「小学生時代のゲームの思い出は一生ものだ」「別世界で冒険したこと、強さを極めようと対戦しまくったこと、パズルや謎解きで頭を悩ませたこと」
これは何も「小学生時代」や「ゲーム」に限った話ではない。文学作品でもいいし、マンがでもいい。映画でもいいし、演劇でもいい。誰かが時間をかけて作ったコンテンツに、時間をかけて向き合うこと。
たとえ、その記憶は薄れて、もしかして、その作品を手にしたこと自体を忘れても、それは、掛け替えのない思い出だ。それが、良かったのか、悪かったのか、そんなことはきっと永遠にわからない。
だけど確かなことは、このゲームをプレイしていた時のことを、僕は幸せな時間として思い出せること。どうせ何もかもは過去になってしまうんだから、幸せな記憶は、一つでも多いほうがいい。その、幸せな記憶の元になるだろう作品は、この社会に溢れている。
古市 憲寿(ふるいち のりとし)
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程在籍、有限会社ゼント執行役
1985年生まれ。現代日本の若者像を若者自身の立場から研究する社会学者として大学界からもメディアからも注目を集める。主な著書に『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)など。NHK「ニッポンのジレンマ」などテレビ出演も多い。